今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

つまるところ運?

(写真:昼下りの散歩道 その2)

《成功者かく語りき》

これも、企業ピーアールの一環なのか、あるいは、テレビ局側が積極的に企画するからなのか、成功した企業トップのマスコミへの露出が多いのは昨今の傾向です。

インタビュアー氏曰く、
「社長が今日の地位を築かれた要因は何でしょうか?」

社長氏、返答して曰く、
「そうですねえ。
やっぱり、情熱でしょうか。
あと、いつまでに、何をどこまでと言う明確なビジョン。
そして、あきらめない粘りですよね。」

おそらく、成功した皆さんは共通してこのようなことを言われていると思います。
その内容も納得感があり、異論はありません。しかし、明確なビジョンを持って、熱く最後まであきらめなかった人が全員成功しているかと言えば、そうではありません。実際には努力が報われない人もいます。

そんな時、付け加えられる一言が「つまるところ、運ですかね。」です。

《運は大切》

確かに、運は大切です。
頑張っているからと言って、それで全て上手く行くとは限りません。
むしろ、大きな成功には、人智を超えた力が作用しているようにすら思えることがあります。

たとえば、先見の明があって、ここ一番で投資したくても、企業規模から判断されて、どうしても多額の融資を受けることができない。
そんな時、たまたま会社が所有していた土地の隣にインターチェンジができることになり、値上がりした土地を担保に借りたお金で、大きな投資を行うことができた。
そして、その成功が元となり、会社が大躍進する、とか。

たまたま、知りあった外国人が取り扱っていた製品を気に入って、日本での総代理店を始めたところ、ある社会問題が契機で、その製品が大注目され、一気に商売の規模が拡大したり、とか。

ある程度の大手になると、キーマンを取り込んで自分たちで流れを作ろうとする傾向もあります。しかし、これらのタイミングであったり、トレンドであったりは、普通狙って作れるものではありません。
故に「つまるところ運」というのも分からないではありません。

《ならば、運は何でできているか》

では、その運とは何でしょうか?

それは、原因なく起きた偶然?
あるいは、笠地蔵のように、頑張っている人への、人間を超越したものからの送り物?

ただ、そういうのは、「困った時の神頼み」というのであって、それを期待している人間に成功者がいた試しがありません。

いにしえの言葉に、
「時節到来ということ、用心をもして事のでき候を、時節到来とはいうべし。無用心にと事のでき候を、時節到来とは言わぬことなり。」と教えられます。

常に気を張り、努力をしている人にこそ、本当に大事がなったということがあるのである。気を抜いて、好機が訪れるのを待っているだけの者には、好機は決して訪れないのである。

つまるところ、自業自得は揺るがせにできない真理であり、善果が来ることだけ期待して、日々の努力を怠るものには、決して果報は訪れないのでしょう。でなければ、私たちが頑張る根拠がなくなります。

ただ、その結果がすぐに現れることもあれば、時間が経って現れることもある。だから、種まきと、刈り取りの時期に隔たりがあれば、その因果関係がわからなくなり、故に「つまるところ運」と言わざるを得ないのでしょう。

いずれにしても、未来を生み出すのは今の自分です。だから、善果を信じて、ひたすらに種まきに徹するのみです。
結果がなかなかでなければ、貯金ですから、楽しみに待つだけです。