今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

まどろみから覚めた人たち

(写真:飛行機ぐも一直線 その1)

《まどろみと現実》

今日も、明日も、10年後も同じ日が続く、そう信じて安心して生きている人を「まどろみの中にいる」と表現します。
考えてみれば、「まどろみ」とは実に的を射た言い方です。

心地よい眠りから目覚めて、しばらく、うつらうつらと眠りの余韻を楽しむ状態を「まどろみ」と言います。
完全に目が覚めてしまえば、会社、上司、目標、学校、試験、成績等、嫌な現実に向き合わなくてはなりません。
そこから一時現実逃避して、夢うつつで現実逃避の時間を楽しむのが「まどろみ」です。

《いつか来る終焉》

では、私たちの日常の「まどろみ」はどんな状態を言うのでしょうか。

例えば、このまま健康でずっといられると言う「まどろみ」。現実は、もう体の中を病巣が蝕んでいて、いつそれが表面に現れないとも限りません。

このまま家族一緒で、ずっと幸せに過ごせると言う「まどろみ」。
遊びに行った先で、自動車事故にあって一家が死傷したり、家にいて空から飛行機がおちてきたり、と過酷な現実は突然引き起こります。

会社ならば、このままずっと仕事が貰えているから大丈夫と安心する「まどろみ」。しかし、仕事の8割を発注してくれた大手企業が突然事業撤退をするかも知れません。
最近の家電産業でよく聞かれた話であり、これからは、自動車産業でも起きうるでしょう。

社員の立場なら、このままのスキルで、このままの仕事内容で、ずっと会社が雇用してくれるという「まどろみ」。
ある程度、自分の特性や能力の限界を感じると、「給料は上がらないけど、とりあえずこのまま続けて定年まで無難に過ごそう」と言う心が出ます。
しかし、会社は厳しい経営環境の中、常に変化を迫られます。
そのため今日まで使用していた技術を大幅に見直して、新しいスキルを持った人材を登用することがあります。そうなったら、今の会社の標準にしがみついて生きている私たちは失職します。

過酷な現実から目を背けてまどろんでいる間に、終焉はすぐそこまで来ているかも知れません。

《まどろみから覚めた本当の生き方》

人生では突然、今自分たちが立っている場所が崩れ去ることがあります。
そして、そんな時に備えて準備する生き物は、おそらく人間だけです。

例えば、生命保険や、火災保険、また自動車者保険。
これらは、決して100パーセント使うものではありません。むしろ、火災保険や自賠責保険は、使わずに一生過ごす人の方が多いくらいです。
なのに、保険は一生のうち二番目に高い買い物と言われるくらい、皆んなお金を投じています。

言わば、これは最悪を想定して、最善を行う私たちの危機管理なのです。
つまり、このリスクマネジメント能力は全ての人に備わっていると見て良いでしょう。
しかし、長い間「まどろみ」が許されているうちに、この危機管理がおろそかになっていきます。

なぜ、自分がずっと健康なままいられる前提で将来設計をするのか。
なぜ、仕事がずっと絶えない前提で、事業計画を立てるのか。
なぜ、今と同じ仕事がずっと求められる前提で、会社でのキャリアを重ねるのか。
本当は、皆んなそんなはずはないことは分かっています。そして、終焉がやがて訪れることも。
しかし、今日や明日にいきなり終焉は訪れないだろうと、今を満喫することに心を奪われて「まどろみ」に浸るのです。
ですが、現実には終焉は突然訪れます。
東日本大震災で、あの日の午前、あと少しで全てが海の藻屑と化すと誰が想像したでしょうか。

その中、心地よい「まどろみ」から身を起こして、現実と向き合う人がいます。
それは、とても勇気がいることかも知れません。でも、終焉に向って日々削られていく人生よりは、寒風に身を晒しても明るい未来を志向したい、そんな人たちです。
そして、願わくば、私もそんな生き方を求めたいと思います。