今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

我が矜持

(写真:倉敷)

《意見がぶつかった時》

普通に生きていれば、文句を言ったり、言われたり、お互いの都合を通すためにぶつかり合うことがあります。

原因は主に目線の違い。
一方にとって出来て当たり前のことが、もう一方には、もの凄くハードルの高いことに思える。
(自分がやってきたことだから、彼もそれくらいやって当然だよな。)
(自分がたまたま出来たからって、それをさも当然のように押し付けないで欲しい。)

あるいは、効率を優先しているか、規律を優先しているかの違い。
(今やっていることを少しだけ工夫すればいいだけじゃないの?なのに自分の領分ばかり主張するのは頭が固すぎる。それに、こんなことを話している間にとっくにできているだろう!)
(いつも、後ちょっと、後ちょっとと言って、関係の無い仕事を押し付けてくる。こんな人がいるから全体の締まりがなくなるんだ!)

相手の無理無体も、立場が変われば今度はこちらが同じことを言い始めるかもしれません。
しかし今は、自分の都合ばかりに目を奪われて、相手の立場を想像する余裕がありません。お互いに自分が正しいと思い込んでいるので、正当性を主張して一歩も譲らず、やがてニッチもサッチもいかなくなります。

最後は、気の強い方が言い負かすか、立場の強い方が押し込むか、あるいは、気持ちが大人の方が一歩引くまで、ぶつかり合いは続きます。
いずれにせよ、あまり納得感のある解決にはなりません。

《もっとも大切なことは》

これは誰でもでしょうが、あまりこのようなぶつかり合いを好む人はいません。言って分かるなら、なるべく穏便に済ませたいと思います。
争えば非常に精神的に疲れるからです。
とは言え、自分の不用意な一言が相手に不快感を抱かせたり、また、それを取り繕っている間に、あっという間に燃え広がることもあれば、普段から不満をためている相手の感情に、まるで枯れ草に火がつくように発火することもあります。

争いを好まなくても、未熟さ故に、ぶつかる時はぶつかります。
そして、自分はあまり感情の量が多い方ではないので、言い負かされる場合が殆どです。
(相手は、そう思っていないかも知れませんが。)
そんな場合は、人間的にできていないので、心の中で怒りの感情が抑えきれずに苦しみます。
(くっそう、ああ言ってやれば良かった。ここまで言えれば、相手は絶対折れたのに。)

ですが、本当にそれを口にしたらどうでしょうか。
相手は、私の言葉に黙り込むかも知れません。一旦はしぶしぶでも従うかも知れません。
その代わり、深く傷つき、恨みの感情が残ります。

そう考えた時に、自分が言い負かされたとしても、相手に対して「失礼なことを言わなくて良かった」と思います。
結局はお互い間違っていることを言っている訳でなく、ただその時の立場立場で自分の都合を通したいだけです。自分が一歩引いて済むなら、相手を深く傷つけてまで、我を通す必要はありません。

《丸太の譬え》

谷に一本の丸太が渡してあります。
そして、谷のこちらから来た人と、向こうから来た人がその丸太の途中で、ぶつかってしまいました。
当然、丸太には行き違えるスペースはなく、どちらかが下がらなくては、お互いその場から一歩も動くこともできません。
そんな時に、自ら下がって相手のために道を開けた人が一番立派です。
相手は、大威張りで通っていくかも知れません。しかし、周りからは譲った方がより評価されます。

いたずらに自分の都合ばかり押し通すのでなく、自分が引いて良いか、良くないか考えてみる。
もし、自分が引いても構わないのなら、一旦我を納めてでも相手に道を譲る。
勝ち負けの感情なら、負けたと言う気持ちで煮え繰りかえるかも知れません。
でも、自分の感情を満足させるより、相手に対して失礼な言動をしなくて済んだことが、自分にとって一番誇りとすべきなことなのです。