今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

他人のメガネで見た世界

(写真:青、黄、そして緑)

《歩行者の立場、ドライバーの立場》

側道の狭い田舎道では、前を走っている自転車が気になります。
車道に半身を乗り出して、こちらもセンターラインを越えなくては抜くとができません。しかし、対向車が続き、センターラインを割ろうにも、なかなかその機会に恵まれない。しかたなく、自転車の時速25〜30㎞に付き合うことになります。
不謹慎にも、邪魔だなと思ったりしますし、こんな車道ギリギリを走っていて、引っ掛けられても知らんぞ、と意地の悪いことも考えています。

ところが、車の免許を取る前、自転車を主に足に使っていた頃はどうだったでしょう。
側道の、しかも横を車がビュンビュン走り抜けるところを、自転車で平気で走っていました。
へんな話、こちらが自転車に乗っている時は、ぶつかってきたら車が100パーセント悪者、だから勝手によけていく、くらいの感覚でした。

しかし、子供のころ、ビュンビュン通っていく車のを横目に、もしここで車道側に倒れたら、一体何台の車に踏まれるんだろうと考えて恐ろしくなったことがあります。
そして、車を運転する今、その感覚に間違いなかったことが分かります。

《35対1》

同じ人間なのに、立場が変われば
考えることがコロッと変わる。
所詮人間は、自分の都合でしか考えられない生き物であると反省させられます。

昔、こんな実験が行われたそうです。
一枚の紙を渡されて、
問1、自分が人のためにしていることを列記しなさい。
問2、自分が人からして貰っていることを列記しなさい。
すると、被験者が書き出した、していることと、して貰っていることの数の比率は、実に35対1だったそうです。

それだけ私たちは、してやったの恩ぎせ心が強く、反対にして貰った恩は忘れがちだということでしょう。
自分はちっともして貰っていない、気にかけて貰えないと不満ばかり溜めていますが、私たちが感じていらる、実にその35倍は人の世話になっていると言うことですから、これも深く反省しなければなりませんね。

そう考えると、ますます、自分の都合にとらわれている間は本当のことが見えて来ないと分かります。

《他人のメガネで世界をみてみる》

哲学では、私たちの認識は、必ず主観というフィルターを通っていると教えます。言い換えれば、それだけ世界は私たちの都合で歪んで見えている訳です。

先ほどの例で言えば、ドライバーの立場の時は、自転車のことを邪魔者扱いし、そのくせ自転車に乗り換えれば、轢けるもんなら轢いてみい、と自転車の上にそっくり返ります。

売り手と消費者の立場でも同じです。売り手の立場の時は、消費者の勝手気ままさに腹が立ち、どうして自分の商品を買おうとしないのかと、相手の見る目のなさを責めます。
しかし、一転、消費者の立場になった時は、興味がわかないものをこれでもかと売りに来る売り手にウンザリしていませんか?
消費者の時はあれだけ理解していた買い手の立場を、一転、売り手になった時に分からなくなってしまいます。
要は、自分はこうなって欲しい、相手はこうあるべきだと言う勝手な都合で目が眩まされるのでしょう。

そんな時は、一度自分の色メガネを外して、相手のメガネをかけてみる。自分の都合で目が眩み、見落としている大切な何かに気がつくかも知れません。
心掛けたいことです。