今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

何もない部屋

(写真:初夏の庭)

《引越し前の部屋》

アパートに住む友達の家を訪ねた時、ふと隣の部屋を見ると、まだ引っ越し前なのか、何も置いていないガランとした空間だけがありました。
何もない、寂しい空間のはずなのに、そこから受ける印象は不思議な開放感です。
何も置かれていない床。そこに窓から射す日差しが陽だまりを作っています。そして、何も貼られていない真っ白な壁。
このガランとした空間が、とても贅沢な調度に思えるのは何故でしょうか。

反対に、いろいろなものが揃って便利なはずの部屋は、なんとも言いようのない気詰まりを感じます。
おかしなもので、人間は一生懸命働いて、それで手にしたお金で家具を買い揃えては、気詰まりな思いにウンザリするのです。

《人は何故旅に出たがるか》

私たちは一生懸命何かを手に入れようとしては、それでせっかくの開放感を台無しにして、生きづらくしているところがあります。
例えば、旅先の思い出にと、あれもこれも買い込んで、結局家に溢れかえる土産もののやり場に困る。
オシャレしたいと服を買い込んで、クローゼットに溜め込む。しかし、ついにはクローゼットから溢れかえって、箱のままあたりに積みあがっている。
あるいは、相手構わずしがらみを作って、時々発生する人間関係のゴタゴタにうんざりする。

別に特別なことをしていなくても、モノは自然に溜まり、期待したり、されたりの依存関係の中、人間関係は複雑に絡んでいきます。
ああ、いっそ全部リセットしたい!と、せっかく自分が溜め込んだモノや人間関係から離れたくなる時があります。
そんな時、人は旅に出たくなるのかも知れません。

《人生にキャパを持つ》

世に整理整頓のアドバイザーと言う人がいます。
その人曰く、整理とは、不要なものを捨てること。整頓とは、あるべきものをあるべき場所にいつも戻すこと。
そこから、「捨てる技術」と言う本も書いています。
しかし、そうは言われても、せっかく身を粉にしてかき集めたものを捨てるなんて、もったいな過ぎます。

しかし、そのアドバイザー氏曰く、「捨てると言うことは、あなたの人生に新たに出会いを受け入れるための空間をつくることです。」
新しい、そして素晴らしいものに出逢った時に、自分にキャパがなければ、それを受け入れることができません。

今までにない素晴らしい家具を手に入れても、小物で一杯の部屋に入れようがないでしょう。
価値のある取り組みをしようと思っても、瑣末な用事で縛り付けられていたら、その為の時間が確保できないでしょう。
素敵な人と巡りあっても、望んでもいない雑多な交友関係に忙しかったら、せっかくの出会いが無駄になるでしょう。

それに、人間は一生懸命ものを溜めても、この世を去る時は全て置いていかなくてはならなりません。
まさに、「タライからタライへ50年」の人生、結局持ってはいけないものに縛り付けられて、自由に生きられないのはかないません。それより要らないものを整理して人生にキャパを作り、新しいもの、一番大切なものにスペースを確保できる人生でありたいと思います。

もちろん、妻子を棄てて蒸発せよ、と言う話ではありません。そこは、男としての責任ですから。