今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

宇宙的視点

(写真:ギャラリー)

《宇宙の果ては見られるか》

天文学者 エドウィン・ハッブルによれば、私たちの住む宇宙は、外に向って徐々に膨張しているそうです。

その時間を100億年巻き戻すと、私たちの宇宙は、最初一つの点に凝縮されるとか。
そこから、宇宙は100億年前のビッグバンという大爆発から始まったと言う説が広く唱えられています。
この大爆発は、いろいろなものを周囲に撒き散らし、外に向かって拡散を始めました。そして、その撒き散らされたものが、私たちの住む地球のような惑星や、太陽のような恒星の元になったと言うのです。

そして、今も宇宙は、外へ外へと大膨張を続けています。
ならば、世界に果てがあるように、宇宙にも果てがあることになります。ですから、学生の頃、仲間内でこんな議論を交わしていました。
「宇宙の果ては見られるか?見られないか?」

エドウィン・ハッブルから名前を貰ったハッブル宇宙望遠鏡は宇宙空間に浮かぶ巨大望遠鏡で、サイズはバスほどもあると言われます。
こんなすごい望遠鏡なら、宇宙の果てがどうなっているか、観測できそうな気がしませんか?

しかし、どんなに宇宙の果てまで見通せる望遠鏡でも、観測にはやはり星々の放つ光が必要です。
もし、科学技術の粋を結集して、何百億光年の彼方を観測できたとしても、何十億光年も先のビッグバンの前衛からの光を観測できるのは、実際の光が発せられてからやはり何十億年も後になります。
「これが宇宙の果て」だ、と見せられたとして、それは何十億年も前の宇宙の姿であり、しかも、光速で膨張する宇宙の果ては、既に遥か彼方まで拡張しているのです。

《十方微塵世界》

このビッグバンの外はどうなっているか、残念ながら私たちは知る術がありません。
外は完全なる闇なのでしょうか。あるいは、果たして別のビッグバンが形作る宇宙が無数に散らばっているのでしょうか。
また、人類はいつかこのビッグバンの前衛を超えられるのでしょうか。

今から、二千六百年前、お釈迦さまは今日の天文学に近い宇宙観を教えています。
時代劇などで、極楽のことを「十万億土」というのを聞いたことはありませんか。極楽とは、阿弥陀仏の国土で、この地球から数えて十万億の仏土(仏が出世している世界、地球もその一つ)を超えたところに存在していると説かれています。
これだけ聞いても、ハッブルに連なるビッグバンから始まる宇宙観よりスケールが大きいですね。

さらに、仏教では、大宇宙を十方微塵世界と教えます。
十方とは、東西南北上下四惟、地球を取り巻く全方位を言います。そして、この地球のような星が塵芥のように無数にあるので、微塵世界と言われるのです。

私たちは、未だ人類を月より遠くに送っていません。無人探査機も、ボイジャーが太陽圏外、数百億キロに達したところです。
その意味では、私たちの行動圏内は、まだまだ宇宙の塵芥の内と言えましょう。
大宇宙の広大さに驚かされます。

《もっとも宇宙に命の煌めく時代》

世に天文学的数字と言われます。
わずか、80〜90年の命しか持たず、この小さな地球の中で一生を終える私たちが、光が1年に進む光年を1単位とする、この広大な宇宙に想いを馳せるのは何故でしょうか。
このまま膨張を続けていった結果、宇宙がどうなるか気になるのは何故でしょうね。私たちが生きている間には、星々は殆ど目に見えない程の変化しかしないと言うのに。

ちなみに、このまま宇宙が膨張を続けていったら、星々はお互いを照らさなくなると言われています。
それは、何十億年後か、何百億年後かは知りません。星たちが互いに離れ離れになって、光が届かなくなると宇宙の殆どを暗黒が支配し、生命の営みは途絶えてしまうそうです。

天文学的に言って、今のように星々が密集している世界だからこそ、宇宙の至るところで生命が生まれるのです。
私たちは、宇宙的にもっとも命の輝く希少な時間に存在していることになります。
しかも、この地球という稀な天体の最盛期に、更に人類がもっとも繁栄している恵まれた時代に生命を謳歌しています。

目の前の瑣末な出来事に埋もれている内は気づかないかも知れません。
しかし、宇宙的視線で、私たちの時代を見れば、なんと希少で恵まれた時代を生きているのかと感動すら覚えます。
この一事を知らされるだけでも、人類の天文学には意味があると思うのですが、いかがでしょうか。