今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

リソース使い

(写真:路傍に咲く その3)

《大誘拐、そして100億円遣い》

昔、風間杜夫氏の主演で「大誘拐」という映画がありました。

広大な山林を所有する柳川家の当主が誘拐されるところから物語は始まります。

その柳川家の当主は、82歳の老女とし子刀自。
一方の誘拐犯はさえない三人組で、リーダーの戸並健次を風間氏が演じていました。

しかし、さすが貫禄の差というか、拘束されても、当のとし子刀自には全く臆する様子がありません。
健次ら三人と対峙した彼女は、「で、いくらなんや?」と尋ねます。
「は?何が?」
「わしの身代金や。」
「えっ?いっ、一千万だ!」
目一杯去勢を張って答える健次に、とし子は怒りだします。
「なんやて!どういうこっちゃ!」
「な、なんだ!あんたがどう言おうがビタ一文まける気はないからな!」
「逆や、安い言うとんのや!私をそんなに安うみんといてくれまへんか。仮にも柳川家の当主やで。」
「えっ・・・。」
そうやって、健次はすっかり相手のペースにはまっていきます。

「じゃあ、5千万!」
「安い!」
「じ、じゃあ、い、1億!」
「あ、兄貴、いくらなんでもそれは・・・。」
「安い!」
「なら、3億でどうだ。」
「ええい、面倒臭い、いっそ100億にしなはれ!」
「ひゃ、100億う?」

でも、そんな大芝居打てるはずがないと尻込みする健次に、とし子刀自は、「全部私の言う通りにしたらええんや。」と、すっかり一味のボスに収まりかえります。

で、どうなったか?とし子刀自は何故、自分の財産から100億を強奪することを考えたのか?
詳しくは小説も出ているので、興味のある方は読んでください。

しかし、最後の方をお話すると、一味はまんまと100億を柳川家からせしめることに成功します。
しかし、100億のやり場に困った健次は当の柳川とし子のもとに転がりこみます。
「ばあちゃんの側で修行させてもらいます。」
その健次を見て、とし子刀自がつぶやくのが、「まだまだ死ねまへんな。100億遣いを育てなあきまへん。」

《器とは、ひょっとして使えるお金の大きさ》

お金を使う人間を育てる。
少しおかしく聞こえますね。お金なんか、育てなくても勝手に使うじゃないですか?
例えば、金持ちのボンボンとか、勝手に多額の親の資産を食い潰していきます。

でも、ここで言う「使う」は有効に使うと言う意味です。
「なんでも良いのじゃないぞ、ちゃんと後々に実になることに使いなさい。」
そう言って手渡されたら、どうでしょう?1千万でも困りませんか?

自分ではちゃんと使っているつもりでも、いつの間にやら無駄な出費で毎月家計は苦しい。
人並みに給料を貰っていながら、生活はいつも一杯一杯です。しかし、月末に請求書やレシートの束を見返してみると、後々実になることにどれだけ使えているでしょうか。
それほどにお金をきちんと使うのは難しいのです。ましてや、100億なんて、どうしたら良いでしょうね。

まあ、悪い実例なら近くにいますから。それは、国のばら撒き財政や、箱モノ行政、国立競技場もその一例です。誰かがきちんと効果測定をしたらどうなるでしょうか?おそらく怖くて誰もできないでしょうが。

もし、「こんな効果を見込んで5千万渡すから、きちんと結果を出しなさい」と、会社から言われたらどうでしょうか。
5千万なんて、自分の給料の何年分でしょう。もし、無駄にしたらと思うとゾッとします。
しかし、お金だけでなく、例えば部下を5名持っている人も、会社が自分に人件費として5千万近い投資をしてくれているのと同じです。

これら、会社が自分に使わせてくれる投資をリソースと言い換えるならば、使えるリソースの大きさが人間の器の大きさを表しているようです。

《器を育てるには?》

私は、正直言ってリソースを使うのが苦手です。
リソースを使う以上は、人の出す成果にまで責任を持たねばならないからです。でも、それは目線が非常に低い考えであって、一生現場の下働きをすると自ら宣言しているに等しいのです。

ならば、100億使いになれないまでも、少しはリソースが使えるように自分の器を育てたいところです。
そのためには、まず「見切り」が大切だと思っています。
人やお金を使って成し遂げたい仕事の完成図が頭に入っているのは当然として、あとは上手く行っているところと、上手くいかないところを切り離して考えます。
全体の費用対効果を常に目を配る以上は、何から何まで同じように目配りをしていたら、力が分散して結局中途半端で終わってしまいます。
だから、目配りをする場所は少なければ少ない程良いのです。
あとは、見なければならないところと、見なくて良いところの見極めをきちんとすることです。

司馬遼太郎の小説によれば、坂本龍馬は、人足たちの監督に当たらせても、ろくすっぽ現場に立ちもしないで、近くで寝てばかりいたそうです。
それで、人より仕事が早く仕上がったと言いますから驚きます。
おそらく、見るべきところの観察眼が人並み外れて優れていたのでしょうね。

その坂本龍馬が、亀山社中を立ち上げて海運業に乗りだします。しかし、豪商たちを説き伏せて、多額の借金をして購入した商船を次々と沈めてしまいます。
それでも、全くめげないところ。
まさにリソース使いの達人です。

そして、あの薩長同盟の回天の事業。薩摩、長州という巨大なリソースを手の内でこねくりまわしたあの器量の大きさ。
しかし、薩長に対して、決してぶれない自分の立ち位置。
私にとって、坂本龍馬こそ、「真のリソース使いとは、見切りの達人である」と言う実証なのです。