今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

自分の枠を超える

(写真:わにわに)

《年齢は限界なのか?》

世に定年制度と言うものがあり、日本では、60歳、乃至65歳と定められている企業が一般的です。
それは、だいだいその年齢になれば、「職業人としての限界」と見なされている訳です。

しかし、65歳を過ぎても、現役以上に気力も体力も衰えていない人たちがいます。
「まだまだやれるのに、年齢だけで明日から会社に来なくても良いと言われてもなあ」とエネルギーを持て余している人に目をつけて、中国や韓国が自国企業の社員として再雇用する。それが、日本の技術の流出の原因になっていると指摘する人もいます。

職人さんの中には、「自分の定年は自分で決める」と誠に意気軒昂な人がいます。
そう考えれば、年齢と自分の限界を結びつけて考える必要などないかも知れません。

《限界に縛られない人たち》

「お前いくつ?」
「えっ、30ですけど。」
「オレ40、いいだろ。」

我らがエーちゃんこと、矢沢永吉氏が、テレビに出始めた頃の缶コーヒーのCMの台詞だったと記憶しています。
当時、やっと30に手が届きかけた自分から見て、40はまだまだ上の渋いおじさんのイメージがありました。そのおじさんが「オレ40、いいだろ」と自分の円熟味を後輩に大威張りしている様が実にカッコよく思えました。
そうか、歳を取るって、実はカッコいいことだったんだ、ってね。

そのエーちゃんも、もう65歳。「ヤザワも今のスタイルは50までが限界だろう」と思っていた自分の予想は裏切られました。
いくら年齢を重ねても、今迄のスタイルも、生き様も変わらない。それはもちろん裏での血の滲む努力の成果でしょうが、年齢に合わせて自分を変えることを潔しとしない生き様に、つくづく惚れ惚れとしてしまうのです。

《超えられる人、超えられない人》

そう考えると、本当に私たちを縛っているのは、既成概念だけかも知れません。
例えば、50になったら、ロックなんか聞いてちゃいけない。渋く演歌か、クラッシックに親しんでいなけりゃ年相応でない。
60で地元サッカーチーム現役なんてありえない。トレンディドラマ好きなんてないない。アイドル好きは卒業しなきゃ。私のように、いい歳して小説を趣味にしていたらみっともない。

でも、好きなものは、好きだし、年齢に合わせて急に嗜好が変わるのはおかしな話です。
むしろ幾つになっても、好きなものは好きと言える位の方が潔い気がします。

さらに、会社でも「年齢的に後進に道を譲らなきゃ」と、ものの分かったようなことを言う必要はない。
要は、やりたい人、やれる人がやれば良いのです。
確かに、年齢相応に机で決済印とか押している方が見栄えはするとは思います。でも、全員決済者になる訳にはいかないので、後は若い連中と何処何処までも張り合って、年甲斐もなく走り回る、でも全然有りです。

たとえば、スマップには還暦過ぎてもカッコいいジジイアイドルであって欲しい。
楳図かずお氏には、いつまでも、あのケバケバしい扮装を貫いて貰いたい。
限界を決めるのは年齢じゃない、それは自分自身なのですから。