今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

大切なのは、相手がどうありたいか

(写真:やぶいぬ)

《読みたくなるブログとは》

よくブログ仲間で話すことがあります。
「なかなか、ブログって読んで貰えないよね。」

私はそれで収入を得ている訳でないので、読んで貰おうが、貰うまいがあまり関係ありません。
しかし、この内容は会心の出来だ!と思った時は、一人でも多くの人に読んで貰いたいと欲がでます。

また、私は会社の仕事に関するブログも書いていて、こちらは他の皆んなの手前PVを稼ぎたいところですが、まだ威張れるレベルは遙か彼方です。
しかし、Facebookのページにリンクを貼ってみたところ、Facebook自体のPVはなかなかの数字です。企業絡みの記事はなかなか「いいね!」し辛いのは分かっていましたが、とりあえず見てくれている人が意外に多いのには驚きました。

ならば、なぜ、ブログへのリンクを開いて貰えないのか?
逆にどんなリンクならば開いて貰えるのか?

それは自分のことを振り返って見れば分かります。
まず、Facebookは片手間で見るものです。対してタイムラインに投稿される情報は膨大です。もし、それを全て丹念に読んでいたら、それだけで1日の仕事は終わるでしょう。

ですから、その中からキチンと読んで貰ったり、「いいね!」を貰おうと思えば、余程人の興味を引く内容でなければなりません。

あるいは、写真だけや、小話の投稿のように、内容の判断が瞬時にできて楽しめるものとかなら「いいね!」しやすいですよね。
確かに、うどんの写真とかでも、分かりやすい内容なら「いいね!」数はものスゴイです。
反対に私のように長文の投稿をすること自体、「読まないでください」と言っているに等しいのですが、それでも「いいね!」をしてくれる人には心から感謝しています。

ましてや、それにもう一手間かけて、ブログのリンクを開くとなると、躊躇するのは当然です。ブログが完全に開ききるまでの10秒ちょっと、長く感じますよね。そんな犠牲を払ってでも見たくなるブログってなんでしょう?

《読みたくなるブログの基準》

開きたくなるブログ、実は私の中で一つの基準があって、それは「あっ、これ読んどかなきゃマズイかも。」って思わせるブログなのです。

例えば、「できる営業マンと、できない営業マンの違いは、毎日のたった1分の習慣だった。」とか、「日本人が長生きの秘密は、僕たちが毎日食べている10の食材にあった。」とか、是非知っておきたい、と思うもの。

あるいは、「やばい!日本政府がひた隠しにする、巨大地震の明らかな兆候。」とか、「これを知らなきゃ10年寿命が縮まる。決して買ってはいけない食品リスト。」とか言って、いたずらに危機感をあおるもの。

それとも、「ベテラン大物俳優を号泣させた、新人女優の一言とは?続きはこちら↓↓↓」と、種明かしをブログでするもの。

いかにも読みたくなりませんか?
「なあんだ、そこまで分かっているなら、お前もしたらいいじゃん。」と言われそうです。
でも、実名を晒して、タイトルだけ大仰な実のない内容を読ませたら、たちまち信頼を失いますから。

それでも、最近気づいたのは、今自分や、会社ができていることの自慢より、多少誤解を受けても、これから自分たちがしたいこと、つまり今はできていないけど目指していることを書いた方が、読み手の心に響くと言うことです。
読み手は、貴重な時間を費やしてお付き合いしてくれているのです。その時間分、感動やサプライズが欲しいのは当然です。それを誤解が怖いからと、自分の小さな枠に収めて投稿しても誰も嬉しくないでしょうね。

《相手がどうありたいか》

世の中では、ブログにしろ、ネットでの情報公開にしろ、このようにしたら、相手がこう反応して、こんなアクションをする、と言う客観的な分析がされています。
確かに、自分のブログですから、自分が書きたいことを書いて、それに反響があれば越したことはありません。
しかし、いつまでも趣味だけでは面白くないので、利益につながるか、つながらないかは別にして、少し広い世界に出たくなります。

そのためには、相手の心のセオリーを学ぶべきだと最近思うようになりました。
どうしても、自分が大好きな私たちは、自分の考え方に固執しますが、選ぶのは相手です。
馬に水を飲ませようと、川の中まで引き出しても、水を飲む気がなくてはどうしても馬に水を飲ませることはできません。
大切なのは、「相手がどうありたいか」です。

その意味でなんとかブログを読んで貰おうと、ああでもない、こうでもないと知恵を絞るままが、自分にとっての良い人間の勉強です。
面倒臭いヤツと思われるかも知れませんが、どうか今しばらくお付き合いください。