今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

親はどうしても超えられぬ

(写真:オヤジたちの昼下がり)

《父親の思い出》

一番尊敬している人は誰ですか?の問いに、よく「お父さんです。」と答える人がいます。しかし、私にはこれが分かりませんでした。

私の父親は、見た目もあまりパッとしなかったし、性格も子供がそのまま大人になったような人でした。
一言で言えば、あまり家族の前で偉さを見せない人だったのです。

家は養鶏業で、仕事は一生懸命する方でした。ただ、気が向くと他ごとに夢中になるので、本業がおろそかになって、そのしわ寄せが全部いった母親は随分と愚痴っていました。

また、晩年は病気の所為ですっかり気難しくなり、痩せた体で一生懸命力む様が哀れで、また滑稽で、結局、最後の最後まで敬意を持って接することはなかったように思います。

《後にして分かる偉さ》

しかし、能力は非常に高い人でした。そして、片田舎で埋もれさせるのは勿体ない人だったと思います。

まず、手先が器用で、なんでも自分で作ってしました。養鶏場なので、鶏を入れておく鶏舎もかなりの部分を手作りしていました。
またある時、仕事の効率化のため、鉄材を組み合わせて「スコッパー」なる機械を考案し、特許申請を取得しました。知り合いの業者に相談したところ商品化がかない、パテント料で幾らか入ったようです。

思い出してみれば、子供のころからごく普通に見慣れていたものも、父親が自分で考案したり、作ったものばかりでした。
また、よく勉強もしており、専門家とまではいきませんが、法律にもよく通じていました。

そして、あまり表には出しませんでしたが、家族のこともよく考えていてくれて、私たちが相続で苦労しないようにと、生前いろいろ手を打っていました。おかげで、父親が亡くなった後、私たちは全く面倒なことを考える必要がありませんでした。

今住んでいる家の庭も父親が業者と一緒に作ったものです。
家の前に、小ぶりの木をたくさん植え、最初は何をするんだろうと思っていましたが、父親の死後、その枝一杯に葉を付けると、見事な自然のついたてになりました。
それを見た時に、初めて父親と言う人物の偉さを知りました。今となっては、もう礼の言葉が言えないのが残念です。

《自分の子供に残せるもの》

しかし、自分が死んだ時、果たして子供に今の自分と同じ感情を抱かせることができるでしょうか。
会社と自宅を往復し、生活費を稼いでいます。それで、子供がのびのび不自由なく育てば、それに越したことはありません。

しかし、手ずから心に残るようなものを作って与えられているか。そんな時間を共有できているか。果たして、子供は自分との思い出を語れるのか。
もっと言えば、生活の世話以外に、何か心に残る贈り物を与えられているか。
まことに心許ないことです。

世間的な評価もなく、手先も不器用で、あまり接する時間もない自分が、子供に残してやれるのは、おそらく言葉くらいでしょうね。
これから子供が送る長い人生の中、時々思い出しては、しょうがないオヤジだったけど、たまにいい事をいっていたなあ、と思ってもらえれば幸いです。
きっと、親の背中で教えることが子供にとっての一番の財産なのでしょう。