今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

恐れが実態を見誤らせる

(写真:水上の休日)

《猫また》

吉田兼好の『徒然草』に曰く。
「山の奥には猫またと言う化け物がいて、人を食うそうな。」
「いや、街中でも、年をとった猫は猫またになって、やはり人を食うそうだ。」
怖いものの噂話には、ついつい花が咲きます。それを側で聞いていた一人の僧、「夜中に一人で歩く時はよほか注意せねばならんな。」と心に留めました。

ある日、その僧が夜遅くまで連歌の会で遊んで、帰り道を辿っていた時のこと、小川の近くでいきなり何かが飛び掛かってきて、僧の首に齧りつこうとしました。
「ひゃあ、猫まただあ!」と叫んでその僧はひっくり返ってしまいました。

その物音に驚いた近所の人たちが松明を炊いて駆けつけてみると、僧は小川の側で倒れこんでいます。
そして、僧を抱き起こすと、連歌の会の賞品の扇や小箱が胸元からバラバラと小川に落ちました。
ようやく息を吹き返した、その僧は「ね、猫またがでたんじゃ!」と叫んで、ほうほうの体で家まで帰ったと言います。

しかし、猫まただと思ったのは、実は僧が飼っていた犬で、主人が帰って来たので、喜んで飛びついただけのことでした。

《過剰反応》

この僧は、僧職のくせに夜遅くまで遊び歩いて情けない。ましてや、犬を化け物と間違えるなど、同じ出家の身として恥ずかしい。
自身も出家している兼好法師の思いが汲み取れます。

しかし、この章の主題は、「恐れが実態を見誤らせる」です。
「幽霊の正体見たり 枯れ尾花」で、暗闇の中から白い手が「こちらへ、こちら」へと手招きをしています。
キャッ!と驚いて逃げ散った後で
よくよく見れば、ススキが風に揺られていただけであった。
そんなことを歌った狂歌です。

怖い、怖いの感情が勝っていると、ついつい必要以上に想像がたくましくなり、過剰反応をしがちです。
たとえば、関東大震災の後、「在日の連中が破壊活動をしている」との噂が流れ、真に受けた自警団によって、多くの中国人や朝鮮の人の血が流されました。
それを未だに「三国人は危険」などと引用する人がいますが、要は恐怖が必要以上に相手を怖く見せるのです。

中世の魔女狩りもその類で、失墜しかかった教会の権威付けのために、普通の女性を世の中に災厄を為す魔女にしたてて、捕まえては火あぶりにしたのです。
知識のない民衆に教会が恐怖を刷り込むのは簡単でした。民衆は怖さのあまり、簡単にその扇動に従いますが、やがて自分が魔女と名指されて火あぶりにかかる番が来ます。その時に権力者の欺瞞に気づいて血の涙を流したことでしょう。

《よく目を開けて正体を見よう》

幸いにして、私たちの周りには、そのような状況はありませんが、逆にインターネットと言う巨大なオピニオンリーダーにして、また扇動マシンが登場しました。

その中には、陰謀論、暗躍説、破滅にいたるシナリオが溢れています。
しかも、教会の言うことに盲目的に従った民衆よろしく、私たちも電子化された活字には弱いときています。

隣国や、大国、大企業や特定の秘密結社など、ネットの情報はスパイ映画やSF映画をそのまま現実に持ち込んだものばかりです。
もちろん、中には地球温暖化や、地震の危険性など、科学的根拠をもとに正しく啓蒙してくれるものもあります。
しかし、悲しいかな、本当に大切なことには目が向かず、タブロイド紙的な過激な記事に吸い寄せられて、しかもその扇動に絡めとられやすいのが私たちです。

過激な記事は、私たちの恐怖心をうまく煽ります。それが私たちを動かすには最も手取り早いからです。
危機意識がなくて良いとは言いませんが、時に目を凝らして、その実態を見たいものです。
案外、枯れ尾花が世の中に溢れているだけかも知れません。そして、本当のリスクにのみ集中したいものであります。