今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

本心から動かぬ人間は恐るるに足らず

(写真:バテバテ)

《『花燃ゆ』の中では》

大河ドラマ「花燃ゆ」で、吉田松陰のもとに集った若者たちが、藩の重役たちの不甲斐なさに息巻いています。
浦賀に現れたペリーの黒船に開港を迫られ、いいなりに通商条約を結んだ幕府を弱腰と批判し、またその幕府に同調する長州の藩論を腰抜けと罵ります。

そして、血気にはやる若者たちは、徒党を組んで、藩論に大きな影響をを与えている上士の屋敷に押しかけました。若者たちは上士と対峙するや、自分たちの主張を展開し、彼らの意見をとりあげるように要求します。そして、「返答如何によっては刀にかけても是非を正す」と迫りました。
要は、力に訴えて自分たちの思いを遂げようとするのですが、彼らに向かってその上士の発した一言が、「本心から動かぬ人間は恐るるに足らず」でした。

「そなたらは、何かあると直ぐに『刀にかけて』と息巻くが、では実際に刀にかけて事の是非を正す覚悟はあるのか?刀さえちらつかせれば、相手が直ぐに従うと安易に考え、その実、命を投げ出す度胸も覚悟もない。そんなものを果たして恐れる必要があろうか。」

劇中では、ここまでの解説はされていませんでしたが、「本心から動かぬ」とは、こういうことではないでしょうか。

《平和ボケとは口にすれど》

口では、盛んに勇ましいことをまくし立てながら、本心ではそこまでの思いはない。
私たち自身にも、よくあることです。

世間で「平和ぼけ」と口にします。ならば、どうなったのを「平和ぼけ」でないと言うのでしょうか。
一部では、進駐軍に押し付けられた憲法を改正して、自分で自分を守れる国にしようと言います。
確かに、いくら戦争反対を叫んでも、実際に自分たちの生命が危なくなれば、誰でも自分の身は守ります。それは、自分の生命と財産を守るために懸命に大災害に備えるのと同じことだからです。

もちろん、これは正しいことですが、ではその国防は誰が担うのでしょうか。
普通、どこの国でも国防を担うのは、20代、30代の若い世代です。ならば、日本でも徴兵制を敷いて、それらの若年層に国防を担わせたら良い、そう口にする大人もいます。
しかし、彼ら若年層は、おそらく大人の勝手な言い分には毛頭納得しないでしょう。

なぜなら、今の大人たちは大国の傘に守られて平和な時代をのうのうと生き、高度成長期の遺産を食べて豊かに暮らせた世代です。それに引き換え、今の若年層は、財政破綻非正規雇用の増大、少子高齢化社会、資源の枯渇、さらには地球温暖化まで負の遺産として押し付けられています。そこへ更に国防まで担えと言われて納得できるはずがありません。
きっと「自分で作った世の中の落とし前は、自分たちでつけやがれ!」そのように思っているのです。

対して、国防論を盛んに口にするのは、我らオヤジ世代で、実際に徴兵にひっかからない気安さで、ひときわ音量が高くなっていると言ったら言い過ぎでしょうか。

つまり、脱「平和ぼけ」で、国防の強化を叫んでも、担い手が現れないこの国では、現実味がないのです。
きっと、他国から見れば、本心から動かないこの国は、まさに「恐るるに足らず」かも知れません。

《恐るるに足るものになろう》

確かに戦争は嫌です。
しかし、それだけでは済まないのも事実です。
例えば、戦争にならなくとも、人権意識の低い国に併合されたら悲劇ですし、国家としての体裁はありながら、内戦や他国の干渉で大量に難民を生み出しでいる国もあります。そして、私たちが、明日そうならない保証はありません。

しかし、この世界には、平和、協調、そして人権と言う概念があります。そして、これはごく近代に発生した概念です。
と言うのも、私たちはビジネスで他社のシェアを奪って、相手の会社の社員を路頭に迷わせてもなんとも感じはしません。同じように、近世までは他国を侵略して、領土を拡張し、その国の民を殺したり、蹂躙するのがごく普通だったと思われます。
豊臣秀吉が天下を統一し、戦のない世の中を作った。だから秀吉は、平和を願った偉人であると言うのも、平和な時代の我らの後付けです。単に領土を拡大していったら天下を呑み込んでしまったと見る方が正しいかも知れません。

故に、平和、協調、人権とは、人類が長い間かかって手に入れた資産であり、一部で「大国のご都合主義のイデオロギーに過ぎない」と非難されても、21世紀の私達が後世に誇るべきものです。

ですから、国防、国防と軍事的なハード面にばかり目を向けるのではなく、平和、協調、人権というソフト面の貢献にこそ注力すべきではないでしょうか。
現に日本が世界に驚きを与えている技術、たとえばゴミから石油を生成したり、飛躍的生産量をもたらす植物プラントを展開したりと、ひいては平和や協調の実現に寄与するものが存在します。

これこそ、私達が未来に残せる本当の資産であり、あらゆる年代が本心から動けるテーマです。
後は、そのテーマや活動をもっと世の中に知らしめ、拡大していけば、まさに積極的な平和協調の時代への布石となり、そんな私達を周りの国は心から畏怖し、尊敬するでしょう。
まさに本心から問題解決に取り組むから、恐るべき国なのです。