今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

異端こそ輝く

(写真:牧場は緑)

《人の行く裏に道あり》

「人の行く裏に道あり 花の山」

花見の頃、咲き誇っている花が遠目にもよくわかる見通しの良い場所には、花見客が集中します。狭い場所に皆んなが筵やゴザを敷くので、朝早くから場所を取るのに一苦労です。
また、やっと場所をとって、宴会を始めても、周りも同じように騒いでいるので、喧しくて桜の風情どころではありません。

しかし、そこから少し足を伸ばして裏山に入ってみれば、誰もいないところに満開の桜が咲き誇っている。
これは、そんな様子を歌ったものです。

聞けば、この歌は株の世界でよく引用されるそうです。
高い値をつけ始めた銘柄には投資家たちが我も我もと殺到します。他から「◯◯社の株で大儲けした」と聞くものだから、自分もなんとかそれにあやかりたいと必死になるのでしょう。しかし、私たちが気づいた時には、株価はもう頭打ちになっています。そして、上がるだけ上がったら後は落ちるだけです。

つまり、株の世界で、人と同じ動きをしていたら、少しも儲かりませんよ、と言うことです。
反対に、人が買わない時に買って、売らない時に売る。それには、不断の情報収集が必要ですが、そんな行動をする人(人の行く裏)に大きなチャンス(花の山)が訪れます。

《異端を恥じず》

人がしていることをせず、人がしていないことをする。それを世間では、異端児とか、天邪鬼とか、変わり者と言います。

「人がしていることをしても面白くないじゃん!」
そんな精神構造の人は、それを楽しめるでしょうが、我々のような普通の人間は「寄らば大樹の陰」で、皆んなと同じことをしている方が安心感があります。また、結果も出やすいので、貢献感もあります。

しかし、意に反して、主流派から外され、会社も自分も全く経験のないことを任されたらどうでしょうか。
「自分のスキルや知識欲を見込んでくれている」と自分を励ましてみても、主流からはじかれたツンボ桟敷感はぬぐえません。

会社の中心部からの情報は途絶し、疎外感もあります。「無駄なことをやっていると見られているんじゃないか」と周りの目も気になります。
「ああ、このまま朽ち果てるしかないのか。」と、悲壮な飢え死を覚悟するかも知れません。

しかし、その立場は、決して恥じるべきものではありません。
なぜなら、彼は裏山に分け入った人なのですから。

《異端を輝かせるもの》

実際、いくつかの事例があります。

たとえば、セブンアイホールディングスの鈴木会長。
イトーヨーカドーの店舗型小売事業から外れて、当時海のものとも山のものとも分からないコンビニ事業を任されました。
鈴木会長がどれくらいのモチベーションで、このコンビニ事業に取り組んだかは知識がありませんが、何度も「ああ、俺はこのコンビニ事業と朽ち果てるのか。」と絶望したのは想像に難くありません。
しかし、やがて努力は実り、セブンイレブンは本体の店舗事業を超え、グループ全体を牽引するまでになっています。
逆に主流派だったはずのイトーヨーカドーは、消費の低迷にともない、すっかりかつての勢いを失っています。

また、回転寿司のスシロー。
今の社長は、もともと寿司の職人でした。当然、高級食である寿司を提供する仕事にプライドがあったでしょう。
それが突然、二貫ナンボの回転寿司の担当に変えられます。
これは、どんなに悔しかったろうかと思います。しかし、それに腐らず、できることを地道に積み重ねていった結果、日本の外食界を代表する一大チェーン店に育てあげたのです。
反対に従来の寿司店はすっかり回転寿司に押されて、余程知名度のある店でもない限りは客足を奪われて青息吐息です。

「おごるまじ 月の丸さは ただ一度」
坂は登り切ったら、後は下りなければなりません。今の主流派は、言わば、坂の頂上に近くまできている人たちです。
対する異端派は、坂での位置は低くてもまだまだ上がっていく余地があります。

ですから、自分が閑職や異端と腐ることなかれ。本当の未来は、異端児にこそ開かれています。