今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

社員があって会社がある

(写真:ピンクフラミンゴ)

会社は誰のもの?

会社は誰のものか?

普通に考えれば、創業者である社長が会社の所有者です。
実質の経営を行い、人事権も持っています。ですから、会社の経営方針を決めるのも社長なら、私たち社員を採用したり解雇するのも社長です。ポストへの人材の登用も社長の意思で行われます。

しかし、その社長でも会社に対して不当に損害を与えれば、特別背任に問われます。
会社の業績をごまかせば粉飾決算として弾劾されますし、業績の悪化を招けば株主総会で解任動議を提出されます。
ですから、自分で創業した会社であっても、その社長自身が追放されることもあるのです。かつて、一時アップルから追放されたスティーブ・ジョブズ氏がその例ですね。
つまり、会社とは社長のものにして、社長のものでないと言えます。

では、会社が潰れた時、実質的に損害を受ける人たち、すなわち株主が会社の所有者なのでしょうか。
確かに、これは一番理屈が通っています。しかし、株主は任命した取締役に経営を委託するのであって、実質経営をするのとは違います。ましてや、実際のオペレーションは社員が行うのです。

社員があって会社がある

会社の実態を構成しているのは、そこに雇用されている社員であることに間違いはありません。

ある会社では、顧客満足の前に、社員満足を向上させることに努めたそうです。
すると、一見顧客には不親切に聞こえます。しかし、その顧客に接しているのは社員なので、いくら顧客サービスを手厚くしても、社員のモチベーションが低ければ顧客サービスの質は向上しません。
反対に社員満足を上げて、そのモチベーションのアップを計れば、顧客満足も向上します。

つまるところ、会社の質とは、社員一人一人のオペレーションの質の総体です。そこを無視して、後付けで社外経営者や、有能なオペレーションチーム、あるいは設備を投入しても上手くいかないのです。
おそらく、そのような戦力の投入は全体への波及効果を考慮して行われるべきなのでしょう。

双方の勘違い

しかし、この社員満足も、顧客満足も非常に誤解されやすい言葉です。
私見ですが、この社員満足と顧客満足はセットで語られるべき言葉です。
つまり、顧客満足のための社員満足であり、そして、顧客満足の達成によりさらなる社員満足の達成へと循環するべきものです。

顧客満足ばかり先行すれば、今のブラック企業のようになります。
安さを追求することにより顧客満足を達成し、さらなる顧客を獲得しようとする。あるいは、体制を整えないまま顧客サービスのみ拡充する。しかし、当然無理があるので、そのしわ寄せは社員に回り、低賃金や長時間労働、果ては、夜間のワンオペのような無理な就業を強います。
結果、品質に問題が発生して、企業の信用を落とす。

反対に、社員が自分たちの満足ばかり主張したらどうなるでしょうか。
週休2日、年2回のボーナス、定期昇給。いつの間にやら、私たちの中で、有って当然になっています。
悲しいかな、私たちは恵まれると、一時はそれに感謝しますが、やがてそれが当たり前になり、何故会社が私たちにその待遇を約束してくれたかを忘れてしまいます。

会社が私たちにそのような待遇をするのは、それに対して相応しいスキルを磨くことを期待してのことです。そして、それが顧客満足につながり、ひいては業績の拡大につながることを期待しているのです。
待遇の改善は会社にとっては辛い痛みです。私たちは、その痛みを補う自分たちになる必要があります。
その相互補完の関係を忘れて、自分たちの満足を要求するばかりでは、会社も成長せず、自分たちのさらなる待遇改善も望めません。

「社員があって会社がある」は大切な言葉ですが、その意味を取り違えては、会社も社員も幸せになれないのです。