今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

将に将たる器

(写真:ツツジとブルースカイ)

《いみじくも、の一言》

昔、私の社長だった人は、いわゆる天才肌で、多少癖がある人でした。しかし、少し斜に構えて浮世離れした感じに、とても憧れてもいました。

その社長は、自分が優秀である分、要求も厳しく、割とゆるい指示で高い完成度を求めます。
たまりかねて、ある人が「社長、そんなに言うんだったら、本当にできるかどうか、自分でやってみてくださいよ!」と文句を言ったことがあります。
すると、その時、社長がいみじくもこう言いました。

「自分で、できるくらいなら人なんか雇わない。僕ができないことをやって貰うために君がいるんだろう。」

確かに正論で、「あっ、そうか」と思いました。この言葉は、社長業の本質も表しています。

経営の資源は、ヒト・モノ・カネと言われます。
ヒト=社員、スペシャリスト
モノ=設備、商品
カネ=資金
この三つを上手く組み合わせて、最大の利潤を上げることが社長のミッションです。
ですから、社長自身がスペシャリストである必要はありません。しかし、スペシャリストを正しく選別する責任はあります。もし、適任と思っていたスペシャリストが、実はスキルが足りていないと分かった時は、正しいスペシャリストを選任し直す必要があるのです。

その時、先の言葉のように、自分が出来る、出来ないは、社長には関係のないことです。むしろ、それを切り離して、ドライに考えられなくては、社長業は務まりません。

《映画監督の仕事》

映画をみるにつけ、この作品には、どれだけのスペシャリストが関わっているのかと想像します。
俳優陣はさることながら、脚本、美術、衣装、メーク、カメラ、照明、小道具、舞台、CG、音響、音楽・・・。
特に、最近のクオリティの高い作品は、よくぞここまで当代の一流スタッフをかき集められたものかと感心させられます。

その製作側の総責任者が映画監督です。作品作りの要であり、名画が完成すれば賛辞を一心に浴びます。
しかし、監督は各製作セクションのスペシャリストとは違います。
監督は、まず映画の世界観というビジョンを明確にします。あとは、仲間と協力しながら、その世界観を達成できる有能なスタッフを集めます。
つまり監督の仕事は、素晴らしいものをクリエイトできる人材の選別と、それを組み合わせて、自分の世界観を少しでも高いクオリティで実現することです。

さながら、道具を選ぶように人材を集め、道具を使うように、そのスキルを使いこなす。取り敢えず、自分自身のスキルは脇に置いておいて、その道のスペシャリストに厳しい要求を出せなくては、監督は務まりません。

《新しい時代の仕事術》

つまるところ、社長の仕事も、映画監督の仕事も、スキルを持ったスペシャリストと言うリソースをどう配置し、どう使いこなすかに終始します。
自分自身が、華々しく武勲を上げる隊を率いた将(スペシャリスト、専門集団)でなくても、その将を使ってさらに大きな国取りの絵が描ける人が「将に将たる器」と言えるでしょう。

社長や監督のみならず、これからの私たちの仕事のあり方を考えても、これは大切なスキルです。
と言うのも、ビジネスはどんどん高度化し、回転も早くなっています。そのため、一社だけで、その流れについていくのが難しくなっています。
世の中の流れに社内のリソースだけで対応することは無理があるので、各社ともに自分にない技術を持っている会社とのアライアンスを画策します。
すると、互いに補完しあった結果、お互いの市場へとビジネスを拡大することも可能になります。もちろん、そこはビジネスのこと、互いの利害が交錯するので難しい面もあるようですが、それこそ各々の企業が一軍を率いた将だとすれば、将を取りまとめ、さらに規模感のあるビジネスを展開できる「将に将たる」カンパニーが出てきても良いと思います。

おそらく、今の会社は他社の研究や、人脈づくりに熱心なので、意識するとせざるに関わらず、そのようなビジョンへ向かっていると思います。
自身が何ものを持たなくても、ビジョンと選別眼で、多くの会社とアライアンスを組んでビジネスができるようになれば有難いと思います。
昔なら、地道でないとか、他人の褌で相撲を取ると批判されたかも知れませんが、ネット等で人と人の距離感が急速に縮まる中、世の中のあり方自体が変わっているのではないでしょうか。