今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

小さなミスを一杯しよう

(写真:ヒルトン・ムーン)

《子供の頃、言われたこと》

「悪いことは、子供の頃に一通りしておけ。」
子供の頃によく言われた言葉です。

確かに私の子供頃は、今の子と比べると皆んな随分やんちゃでしたし、放ってもおかれました。

他の子供に比べて、私はかなり内向的で、出不精な子供でした。そのため、友達と遊ぶより、家で一人や兄弟と遊ぶことが多かったように思います。
それでも、一通りのいたずらはしましたし、火遊びをしたり、車の前に飛び出したりしてこっぴどく叱られもしました。大きなノコギリやハンマー、鉈も小学一年生から普通に使っていたので、いつも手をあちこち怪我していました。

今の子供に引き当ててみれば、とても考えられないことばかりです。
最近なら、筆箱の中に鞘付きのナイフを入れていただけてもたいへんです。しかし、当時は、鉛筆削りはもちろん、何かと重宝する小学生の必須アイテムでした。それでも傷害沙汰を聞いたことがないのは、ナイフに慣れ親しむと同時に、持つためのモラルがしっかりとしていたからでしょうね。

つまり、私たちは「子供だから」と許される範囲で散々やんちゃして、怒られてはモラルを身につけたのです。
「ここまでやったら、さすがにまずい。怒られるから止めよう。」
「ああ痛かった。もう二度と痛い目に合わないように気をつけよう。」
「強く叩いたら怪我させちゃった。もっと力を手加減しなきゃ。」

非力で、社会的責任もないから多少お目こぼしがある環境の中で、一通りの悪さをして、痛い目を見ては身体に覚えこませる。それを昔の大人は、子供の成長のための大切なプロセスと考えていたようです。

《失敗をできない人たち》

前から気になっているのは、自分に対して失敗を許容できない人が増えているということです。
まるで、失敗をすると、生涯の汚点になったり、自分の全人格を否定されたように思うようです。

ですから、ものを頼む方もヒヤヒヤです。それは、毛頭失敗しないようにお膳立てをしてから依頼しなければならないからです。もし指示が甘くて、失敗でもされた日には、そのことについて逆に責められます。
失敗しても、「すいません、今後気をつけます。」と明るく糧にしてくれれば良いのに、これでは、自分が手ずからした方がどれだけ楽かと思います。

対して、スキルは低くても、「やらせて下さい。」「任せて下さい。」と調子いい人もいます。そこで、やらせてみると案の定失敗するので、「もういい加減にしろ」と思いながらも、それでもめげずに手を上げるため、結局また任せることになります。
失敗を嫌ってリスクを避ける人と、不器用でも果敢に挑戦する人では、最終的にどちらが学びが多いかは歴然でしょう。

《小さなミスを一杯しよう》

誤解を招きそうなので、予め断っておきますが、別にこの投稿はミスを許容しているのではありません。
小さなミスをないがしろにしていると、ハインリッヒの法則ではありませんが、やがて大きなミスを招きます。

その上で、人間はミスを完全に無くすことはできないので、どうせするなら、まだ影響の少ない小さいうちにミスをして、身体に覚えこませた方が良いというのが趣旨です。

子供のうちの失敗や、悪さは、まだ影響範囲が少ないので、その内にしっかりと懲りておけば、影響範囲の広がった大人に仕出かして社会的生命が断たれるのを防ぐことができます。
小学生のスカートめくりは先生のゲンコで済みますが、大人になってからの盗撮は重い制裁が課されます。

同じように、スキルも至らず、責任範疇も狭い時期にどんどん経験を積まなければ、責任がついてからの失敗は取り返しがつきません。
ソフトウェアを、本稼働前に顧客に提供して、事前に問題点を潰しこむことによって、本稼働でのリスクを減らすようなものです。

不慣れな段階では何かとダメ出しをされて、へこむことが多いと思いますが、芸事でも多く恥をかいた人が一流になります。ミスは影響範囲の少ないうちは、失敗ではなく、学習と捉えて果敢に挑戦したいものです。
そして、このことは失敗を嫌う小心な自分にもっとも言い聞かせることです。