今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

まずは、一芸に全力投球

(写真:龍翁の壺)

《一芸に秀でた人》

私たちは、学校や社会で、満遍なく平均点を取ることを求められてきました。
国語、算数、理科、社会、体育、家庭科まで、別に一つくらい不得手があってもいいじゃん、と思うのですが、担当教諭はどの教科でも、不出来な生徒に一様に厳しいものです。

社会に出ても同じです。企画、開発、マネジメント、プレゼン、営業、全てが完璧なスーパーマンなどいるはずがないのに、いや、いないので、取り敢えず皆んなで平均点を目指すのででしょう。一つでも、平均点以下があれば、ダメ出しされるので、さあ、みんなで平均点目指して全力疾走です。

しかし、一芸に突出した人は、他のことがダメダメでも許されるのが羨ましいですね。
例えば、トーマス・エジソン。こと発明に関しては、天才的ひらめきと、数多くの実績を残しながら、馬車賃さえいつも間違えて周りから呆れられていたとか。しかし、発明家としての圧倒的輝きが、あとの些細な欠陥を覆い隠してしまうので、今や世界の発明王として、世界中から尊敬されています。

♫芸のためなら女房も泣かす〜の歌で有名な三代目桂春団治。当時、落語会のスーパースター的存在でしたが、歌詞からも知れるように破天荒な生き方でも有名でした。このような人物は本来社会的に評価はされないものです。しかし、話芸と言う一芸に秀でていたため、むしろその行儀の悪さすら美的として評価されています。

《まずは、一芸に全力投球》

中途半端な突出では、そのような評価は貰えませんが、こと一芸にかけて他の追随を許さないところまでいけば、他が平均点以下でもお目こぼしして貰えるようですね。
天才とは、なんとも羨ましい人たちです。

しかし、本来人間には、得手と不得手があるのが普通です。
赤ちゃんの頃から、ある年齢に達するまでの間に脳のニューロンネットワークが形成され、その間によく使った回路が選別され強化されるので、個人別に得手、不得手がハッキリ分かれます。
論理的思考に向いている人、感性で判断できる人、外交的な人、内省的な人。それらは、時に長所として認識され、また短所として認識されます。

つまり、長所、短所とは単にパーソナリティーの違いであって、人間には違いがあって当然ということになります。
それを、短所を埋めて、満遍なく平均にしようとすれば、莫大なエネルギーがかかります。反対に、長所に着目し、そこを伸ばすことに力を注げば、より少ないエネルギーで、一芸に突出した人間を育てることができます。
しかし、私たちが、学校教育から社会生活を通じて受けて来たのは、短所の穴埋めによる平均点人間像の形成です。この点は、いろいろと議論のあるところですが、私たち日本人が教育やスキルアップに効率の悪いエネルギーの使い方をしてきたのは間違いありません。

では、私たちが自分のキャリア形成のためにすべきことは何でしょうか。
それは、まず、自分の長所を正しく知ることです。しかも、「好きこそものの上手なれ」で、自分がやっていて楽しいなと思うことが、私たちの長所であることが多いのです。

《一芸に秀でた効用》

平均的な人間ばかりの会社よりも、多少難はあっても一芸に突出した人間がいる会社の方が強みが出せます。(ただし、そんな人ばかりでは困るので、要注意です。)

さらに、一芸に秀でた人間は、それが自信を生むので、自己肯定感の強い人になります。(これも、周りが正しく評価しないと意固地になるので注意が必要です。)
そんな人は、勇気を持って、いろんなことにも挑戦できるでしょう。つまり、長所が短所を補うのです。

これから膨大なエネルギーをかけて、短所を改善するよりも、長所を伸ばす努力にエネルギーを使った方が効果が大きいと分かります。そして、どのような長所であっても、他に比較できないまで磨き抜けば、周りが放っておきません。きっと、人やものに囲まれる幸せな人生になるでしょう。