今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ひらめかない人は考えていない人

(写真:菜の花、黄金の絨毯)

《降りてきた、的な》

「あっ、今降りてきた!」
「何が?」
「凄いアイディア」
「どんな?」
「あのさ、俺ら、パン屋なわけじゃん。でも、他の店に負けない特徴がだせてないんだよね。それで、考えたんだ。」
「またあ、へんなこと止めてよね。この間もホラーパンって言って、ケチャップですっごいリアルな血まみれの顔作ったよね。あれで、逆に客足が遠のいて、戻るまでしばらくかかったんだから。」
「違う、違う、もっと革新的なヤツ。」
「もちろん、いい意味でよね。」
「もちろん、いい意味でだよ。」
「なら、聞くわ。言ってみて。」
「待ってて、作ってくるから。
・・・はい、食べてみて。」
「何これ、普通のカレーパンじゃない。でも、なんでこんなに大きいの?・・・あれっ、福神漬け。あれっ、ご飯!」
「驚いたか!名付けてカレーライスパンだ!パンの中に、カレーライスがまるごと入っているんだ。卵かけカレーや、カツカレーなんかのバリエーションもたくさんできるぞ。」
「で・・・、これ幾ら・・・?」
「プレーンが400円、カツカレーが500円かな。」
「あんた、ホンッキ!で売れると思ってんの?」
「そりゃ、これ一個でお昼ご飯は十分だし、忙しいビジネスマンに大受けだろう。」
「馬ッ鹿じゃないの!」
「えっ!なんで?」

《どんな時にひらめくのか》

お粗末様でした。
でも、店主なりに一生懸命考えたんですよね。その内容はともかく、いつも真剣に考えているところは立派です。

「あっ、今降りてきた!」と店主がいみじくも叫んだのは、彼にとってのひらめきの瞬間です。
ひらめく、とは、「閃く」と書きます。稲妻の閃光の「閃」です。
確かに、アイディアがひらめく瞬間は、脳にフラッシュがたかれるような感じがあります。

逆に言えば、ひらめきは、だんだんに来るのではなく、瞬間的に訪れます。しかも、なんとかならないかと思い悩んでいたことに、急に解答が出る瞬間です。ですから、これを天から降りてきた、天啓と表現する人もいます。

皆さんも経験ありませんか。
作家ならひらめきで、行き詰まった創作の活路を見いだします。例えば、物語の中で主人公が解決しなければならない難問。それをアッと言う方法でクリアしなければ読者は納得しない。さて、どうするか?
しかし、1日中考えても良いアイディアは浮かばない。ついに、煮詰まって、今日はこれまでと、布団を被って寝てしまう。
すると、明け方、夢うつつの中、急にアイディアがひらめくことがある。

これは、作家さんが煮詰まるまで考えていたからです。身体は布団を被って寝てしまいましたが、それまでフル回転していた頭は、回転を継続しており、言わばアイドリング状態になっています。そして、夢うつつで意識が乱舞している時に、アイドリング中に頭が考え出した解答がひらめきとして表れるのです。

《使えば、使うほど良くなるもの》

ですから煮詰まったら、布団を被って寝てしまうのも有効です。あるいは、散歩に出かけたり、食事にしたり、ドライブに出かけたり。
これは古来三上(馬上、枕上、厠上)と言ってひらめきやすい環境なのです。

しかし、これから分かるように、ひらめきに達するためには、それまで脳をフル回転させておく必要があります。
よく、ちっとも良い考えが出ないと言う人がいますが、それはそこまで脳に働かせていない証拠でしょう。
要は、真剣に取り組んでいない、その意識の問題なのです。

現に、クロスワードなど好きなことでは、ひらめきがいくらでも訪れるでないですか。
頭とは、使っても使ってもすり減らないものです。むしろ、使うほど良くなります。
ならば、自分はそこまで真剣なのか、よく振り返って、必死に取り組むよう意識を変えていかねばなりませんね。
知恵、才覚以上に意識こそが大切です。