今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

叱ると、怒る

(写真:春萌ゆ)

子供の頃、よく先生や両親に言われました。
「これは、怒っているんじゃない。叱っているんだ。」
しかし、叱られながらも、(これはどっちだろう、やっぱり怒っているんじゃないの?)と思ったものです。

「怒る」と「叱る」の違いは何でしょうか。
「怒る」は言うまでもなく、怒りの感情の表現です。もっと言えば、欲を満たしたいのに、それを邪魔されると出てきます。
お腹がぺこぺこで食堂に入った。オーダーして、今か、今かと待っていても、10分待っても、20分待っても料理が出されない。(あっ、隣のテーブル、俺より後に頼んだのに、もう食べてる!)
ついに堪え切れなくなって、店員に確認したら、なんとオーダーミス。
「もう、いい!」と席を蹴って飛び出しても怒りはおさまらず。
これは、食べたいと言う欲(食欲)が妨げられた結果、怒りが噴き出した例です。

あるいは、証券会社の言う通りに投資をした結果、株が下落して大損をしたら、財欲が妨げられて腹が立ちます。
人前で恥をかかされたら、名誉欲が妨げられ腹が立ちます。
そして、分かるように、これは相手に非があるにしても、自分自身の都合で怒っているのです。

対して「叱る」は、自分の感情とは無関係の行為です。
会社の部下がルールに反することをしたり、あるいはお客様に迷惑をかけたら叱ります。子供が、他の人に迷惑をかけたら叱ります。若者が、傍若無人な行為をしていたら、叱って行いを改めさせます。

「叱る」と言う行為は、迷惑な行為をやめさせ、対象を救済するのが第一です。しかし、それと同時に、叱る相手を正しい方向に導く行為でもあります。
正しくないことを「正しくない」と伝え、そこを改めることにより、より向上した人間になってもらいたいのです。ですから、叱られた人間は、ダメな人間ではなく、ダメを克服して成長できた幸せな人間です。これを古来「善導」とも言います。

しかし、本来「怒る」も「叱る」も相手にしてみればされたくない行為です。怒られたり、叱られて喜んでいる人間などいるはずがありません。
それが分かっているので、「怒る」「叱る」は気の重い仕事です。
まだ「怒る」は自分の怒りの感情を起爆剤にするので、割と表に出しやすい反応ですが、対して「叱る」は自分の感情や都合に関係なく、周りのため、あるいは相手のためにする行為なので、行わなくても自分は困りません。また相手は当然ネガティヴな反応をすることが予想されるので、叱るのをついつい二の足を踏んでしまいます。
ですから、「怒る」大人は多くても、「叱る」大人は稀なのでしょう。
しかし、正される機会がなければ向上もなく、そんな環境で育っていく若い世代は不幸です。

例えば、電車の入り口付近でたむろして皆んなの迷惑になっている高校生、あるいは立派ななりをして平気で電車で携帯を使う大人。タバコのポイ捨てをする男性。
どうでしょう。まともな人間ならば、誰しも義憤を感じます。しかし、「おい、君たち!」と注意するのは勇気いりますね。
まかり間違って喧嘩になっても構いませんが、それ以前に相手のネガティヴな反応に傷ついて、せっかくの週末なのにそれを引きずって台無しになるのはかないません。

でも、こんな大人で申し訳ありません、と若い世代に詫びたい気持ちはたくさんあります。
かたや、ゆとり世代、平和ボケ、意気地なしなどと揶揄しながら、まともな大人の生き方を見せられていないのは私たちの方です。
ただ、「叱る」と言う行為には、自分の中で明確な基準が必要です。相手が反抗的な態度を取った時に、自分の基準に照らして、なぜ悪なのか、なぜしてはならないのかを理を尽くして伝えねばなりません。それは、相手の向上と幸せを願うからです。そして、これからも「叱る」のは感情的な行為ではいけないことが分かります。

とは言え、相手の幸せを願う殊勝な心も、相手に伝える基準や信念もまだまだの自分です。しかし、今後は「ますば相手自身のため」と言い聞かせて、『叱る』勇気を奮い起こしたいと思います。