今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

勉強、今昔

(写真:街灯に凛と咲く)

スマホいじり」
スマートデバイス依存症の身としては非常に耳の痛い言葉です。
別にゲームをして遊んでいる訳ではありません。気になること調べたり、ニュースを見たり、あるいは原稿の下書きをしているのです。

ある意味、自分では立派な勉強と思っています。
しかし、このデバイスの形の所為か、あるいは、「携帯をいじっている人間はたいてい仲間とチャットか、ゲーム」と言う時代が長かった所為か、スマホいじり=遊んでいる、としか思われないようです。
また、すうちの子供に言わせれば、「お父ちゃんばかりズルい!私にはテレビばかり見るなと言いながら、自分はスマホばかり見て遊んでるじゃん。」
いや、これは立派な勉強だから。君が本を読んでいるのと、何も変わらないのだよ。

とは言え通勤電車の中で、どの人もどの人も一斉にスマホを取り出して下を向いている光景はあまり見栄えの良いものではありません。
一時、良い年をした社会人がスーツ、ネクタイで「少年ジャンプ」を読んでいると揶揄されていました。でも、一斉にいわゆるスマホいじりをしている光景は、少年ジャンプと比べても、あまり賢そうには見えません。
見ている内容は、政治、経済、ニュースと至って真面目でも、そう見えないのは如何とも仕方ないでしょう。
それに比べて、たまにデジタルでない、アナログブックを開いている人の賢そうに見えること。漫画を読んでいても、スマホより見栄えがするのは何故でしょうね。
メーカーの今後のデバイス開発も、是非その辺りを考えて、クールな「スマホいじり」ができるものにしていただきたいと思います。

また、スマホの罪としては、あの縦横10センチ前後の画面に文字がぎっしりと詰め込まれて、ジッと見ていると目に悪いこと。
さらに、操作中はどうしても下を向くので常時首に負担がかります。テレビによれば、5〜6歳の子供を肩車している負担に等しいのだとか。
そんなこともあって、最近は「LOOK UP運動」を提唱する人がいます。つまり、「スマホから目を上げて世界と向き合おう」運動です。

確かに、このスマホは、喫煙者の心理に似ているかも知れません。タバコを吸う人は、食事、娯楽、ヒーリングなどの快楽体験と喫煙はワンセットです。つまり、美味しい料理を食べたらタバコが吸いたくなる。お酒が美味いと一服したくなる。きれいな景色のところでは、ついついタバコに手が伸びる。タバコを吸わないことには、その快楽体験は完成しないのです。
同じく私のようなスマホジャンキーは、すべてこの10センチ前後の画面を通さないと感動できないかも知れません。例えば、きれいな風景や、子供の可愛い仕草にであった時、必ず写真かビデオに収めますよね。しかし、その記録の行為で満足して、自分のリアルな五感で感動している訳ではありません。
写真は、そのきれいな風景をありのままに近い形で残すことができます。しかし、感動が深く記憶に刻まれるかと言えば、そうではありません。
また、子供と生身で向き合えるのも、その成長の過程での一瞬です。それを五感を使って時間を共有しないのは残念なことです。

と、理屈では分かっているのですが、現実はオーガニックな世界から、どんどんネットとリアルの境界のない世界に移っています。要は五感に直接作用すれば、リアルの実態は問われないのですから、ステーキの味がすれば、素うどんを食べても満足できるのです。
スマホから端を発して、仮想現実がリアルと境目のなくなる世界はもうすぐそこです。
そして私たちは、新たな時代の新たなモラルや常識を求められているのでしょうね。