今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

幸せを振り撒く人


(写真:白壁に満開)

知り合いで、かと言ってさほど親しい間柄ではない女性が朝からニコニコしています。
そして、自分の方から「聞いてくれます?私の友達なんだけど、とっても親孝行したんですよ。実は、その息子さん、昔は結構悪くてとてもご両親を心配させたんだけど・・・云々。」と人のことを、まるで自分のことのように嬉しそうに話をしていました。
私は「こんな人もいるのだなあ」と感心しつつ、幸せを振り撒く人とはこういう人を言うのかな、と思いました。

人のことは褒めているようで貶し、自分のことは卑下しているようで上げている。
人間は、自分のことが一番好きですから、自分が褒めてもらえたり、目立つことが大好きです。反対に人の噂話、失敗した話が始まると、我も我もと参加したがります。まるで、その人を酷評することにより、自分が偉くなれると思っているかのようです。

他人の成功した話には興味がなく、困っていると聞くと心配するどころか酒のネタにする始末。ところが、いざ自分のことになると、神経に直接触られたように毛を逆立てます。そして、自分のことに関心を払わない周囲を怨み呪います。
それは、震災が起きるたびに思うことでもあります。最近は地球規模で地震活動が活発化しているせいか、大地震の報に接することが多くなりました。しかも、すっかり耳慣れスズメで、ネパールの震災を聞いても「またか」と思う始末。
東北の人たちは、皆んなの関心が薄れているのではないかと心を痛めています。正直言って、自分の利害に絡まないことには全く関心が湧かないのが、悲しいかな私たちです。
しかし、この日本に住まいをしていて、明日は我が身とならない人はありません。そして被災して、逆の立場に置かれたら、周りの地域の無関心と無理解を深く呪うでしょう。もともと自分の蒔いた種なのにです。

その点、人の痛みを我が事のように感じられる人は素晴らしいと思います。本当の痛みは分からないまでも、痛みを共有してもらった人は何よりの癒しに感じます。
私も肉親を無くした時に、知り合いのお婆さんの「悪かったねえ(残念だったねえ)」の一言が一番有難く感じました。

それよりも、人の幸せを素直に喜ぶことはもっと難しく、また素敵なことです。その人は、誰かの幸せを受け取って自分も幸せになり、また嬉しそうに周りに話して回ることで幸せのお裾分けをしているのです。
皆んなも幸せな気持ちになれるので、その人はいつも多くの人に囲まれています。
そう考えると、人を幸せにするのも、自分が幸せになるのも元手は要りません。ただ、私たちの本性から言って、とても勇気が必要です。
しかし、敢えてそんな種まきをする人だから、とても幸せな人になるのでしょうね。