今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

制約は心の中に


(写真:錦、夜桜 その3)

昔、実家では鶏をケージに入れてたくさん飼っていました。
ケージは決して広くはありません。
人間サイズなら、畳2畳分の部屋に押し込められているようなものです。
自由に仲間と走り回れたのはヒヨコの内で、黄色い身体が白い羽根に生え変わり、未成熟ながら鶏冠が生え始めた幼鄒になると、個室のケージに押し込められます。
ケージの前には水飲み用のトイと餌箱、下の処理はそのままケージの下に垂れ流しです。
この中で、鶏は一生駆け回ることも、思いっきり羽根を広げることもなく過ごします。
もし、鶏に人間のような感情があれば、閉塞感で気が狂って死んでしまうでしょう。

しかし、人間にも同じような閉塞感を感じて生きている人が多くあります。
よく聞くのが、介護の辛さです。
家に居てずっとご主人やお舅さんの介護をしている。常に気を張っておらねばならないので、体力が削られていきます。さらに、その人を放ってはおけないので、言わば介護している相手に縛り付けられているようなものです。きっと家というケージに閉じ込められているような閉塞感があるでしょう。

最近は専業主婦という言葉をあまり聞かなくなりましたが、それでも女性は家に居てしなければならないことが多く、男性のように平日・週末を問わず自由に出歩ける訳ではありません。
男は外で仕事や地域、仲間との付き合いをこなして、タイヘンだ、タイヘンだと言います。しかし、女性からすればそんな男のことを「自由で良いな」と羨み、家庭と言うケージに閉塞感を覚えていることでしょう。

その男性にしても、会社や組織に閉塞感を覚えています。
会社員には、会社という枠を心地よいと感じる人と、背中に羽根が生えていて、自由に飛び回りたいと思う人の二通りいます。
前者は管理部門に向いていますね。後者は営業職に多いでしょうか。
その背中に羽根が生えている人は、仕事を覚えて、他社の情報が入って来ると、だんだん会社というケージが狭くなってきます。
そして、自由に飛び回りたいと羽根を広げる度に、いろいろな制約に突き当たって閉塞感に苦しみます。

たとえば、可能性があるビジネスを考えついても、当然収益性が問われます。上位方針とも一致していなければなりませんし、社内の体制の問題もあります。特に新しいものに対しては、無視されるか、笑われるか、拒絶されるかの何れかなので、周りの反応にはへこまされます。
その時、余程羽根の大きな人は、会社というケージを破って、さらに大きな世界に飛び立つでしょう。
ケージを破る力がなければ、オリの狭さを怨みながら、我が身の不遇を嘆くと思います。

しかし、そのケージを作っているのは自分自身かも知れません。
思いっきり羽ばたきたいと思った人になんでも許していたら、会社は都度ギャンブルをすることになります。羽ばたく人には、羽ばたくなりの資格がいるのです。それを証明するのは自分自身であり、大きなケージを用意して欲しかったら、周りにそれを認めさせなくてはなりません。
それを怠って、周りの非協力的態度や無理解を怨むだけでは、いつまで経っても同じ日々が続くだけです。

「制約はどこにもない」、モチロンそんなことはなく、制約だらけですが、制約を限界と見るか、越えるべきステージと見るかで心が変わります。
制約は私たちの心の中にあるのです。