今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

いつの間にかプロセスが目的化していないか?


(写真:錦、夜桜 その1)

毎日の積み重ねが大切と言われますが、よくよく確認しなければならないのは、その努力の方向が最終目的と合っているかどうかです。

私はよく上司から、
「果たして、その仕事は会社のためになるのか?」と言われてきました。
会社は営利団体なので、まずは利益を上げなくてはなりません。そこで頑張って利益を確保しようと、いろいろな商談に食らいつき、何とかモノにしました。
しかし、案件の内容を聞いた上司は顔をしかめて、「その仕事は会社のためになるのか?」と言いました。
しかし、正直、私はその言葉の意味を理解することができなかったのです。何故なら、仕事を取って売り上げに貢献すること自体、間違いなく会社のためになると思っていたからです。

対して、上司の思いはこうでした。
実はその仕事は非常に限られた業界の、限られた業務でのみ利用されるもので、会社が人員を割いて一定期間取り組んでも、後の横展開もできれば、ノウハウの蓄積にもならないものでした。ただその間の食い扶持になるだけのことです。

会社は、継続だけを目的としたら、やがて行き詰まります。
それは、世の中がもの凄い速度で変化しているからです。今の仕事の精度を維持しているだけでは、すぐに世の中に置いて行かれるでしょう。
そうならないためには、仕事の中身を磨くことは勿論、成長のタネを蒔き続けなくてはなりません。そして、それは日々の仕事の中で、より収益の高い仕組みに落とし込んだり、新たな市場へ挑戦することです。

売り上げを上げることは大切ですが、そこに学びも蓄積もなければ、時間を消費したに過ぎません。
上司の言葉には、「毎日している仕事と、自分たちが向かっている方向とのすり合わせを考えよ」という意味があったのです。

また、これを「作業の罠」と表現する人もいます。
例えば、出荷場に積み上がった荷物の山。担当者は車を手配して、その荷物の山を無くすことに注力するでしょう。しかし、山は無くなったけれど車輌費が嵩んで赤字になっては、なんの為に仕事をしたのか分かりません。
つまり、人間は目の前に作業があると、それをこなすことで満足して、最終的に達成すべき目標(この場合は会社の利益)を忘れてしまいます。。これが、作業に没頭する私たちの陥り易い罠です。

開発畑が長かった私は特に、目の前に作業が無いと不安になります。本来ならば、会社の方向や目標に合わせて活動を決めなくてはならないのに、作業をできないと不安になって、取り敢えず作業を生み出すことに腐心します。
何故なら無心に作業をしていれば、周りから「忙しそうだな」と見てもらえますし、自分の存在対効果を示せて安心感があるからです。
しかし、そんな仮初めの安心感よりも、方向性と目標をキチンと定めて、その上で大量に作業をすれば、そのプロセスは大きな価値を持つでしょう。
プロセス自身が目的化して、本来の方向や目標からズレてしまわないよう、よくよく注意することが必要だと思います。