今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

青臭くて等身大のオレ


(写真:梅見の頃)

『青臭くって、等身大のオレ』

かつて、所ジョージ氏が自分のことをそう書いていました。
『青臭い』という未熟の代名詞を、所さんほどのビッグネームが自分に対して使うので、多くの人が好印象をもって受けとめました。
「さすが、所さん」
「深い」
等等。

私も若い頃は、30歳、40歳、50歳(まだですけど)と年齢を重ねれば、回りの大人のようにそれなりにしっかりできると思っていました。
ですから、30歳になる時は緊張しました。こんな30代で本当に良いのか?とね。
反対に、40歳の時はさほど感じませんでした。そして、50歳に近くなって、学校で言えば校長、教頭の年齢なのに、頭の中はまだ中学生で止まっているような自分に少しがっかりです。

え〜い、このまま、50代をなんとか誤魔化して60代になれば「しょうがないな、おじいちゃん」と言われる境地が待っている。そうしたら、このままの頭の中身でも十分通用するのではないかと思ったりもします。

しかし、所ジョージ氏の発言を聞くと、人間は役割や社会的評価に応じて外見や振る舞いは変えられるものの、頭の中身までは変えられないのだなと分かって少しホッとします。
確かに、幾つになっても漫画が読みたい、雑誌のエッチなページには目がいく、子供の食べているお菓子が欲しくなって頼んで分けて貰っている。
玄関先では立派なお父さんとお見受けした60代の方が、帰る時に振り返ってみたら、テレビゲームを夢中でやっていたり。ガンダムを真剣に語る40代、50代がいたり。かの司馬遼太郎氏は、テレビアニメの『ルパン三世』のファンだったとか。
そこだけ見れば、なんかこのままでも良いかなと少し安心します。

所さんの発言は、自嘲半分、そして諦観半分。(この場合の諦観とは、『アキラメ』と言うより、『有りのままに見る』と言う意味ですよ。)
決して威張れる訳じゃないけれど、いつまで経ってもオレって青臭い。でも、それが等身大のオレ、そして大切なアイデンティティであり、モチベーションの源なんだ。
さすが所さん、自然体!庶民派!と、皆んなが賞賛をもって迎えてくれます。
もっとも、これを言っていいのは、所氏のような功なり名を遂げた人であって、私が口にすれば単なる『ガキオヤジ』です。

やはり押さえるべきところはキチンと押さえ、年齢相応に周りに対する言動を考えて、その上で「ヤッパリ幾つになっても好きなものは好き!」と等身大の自分をチョッピリ許すくらいで丁度良いのでしょうね。