今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

勲章


(写真:春、吹雪の日 その1)

かつて戦場で武勲を立てた軍人に、その褒賞として送られたのが勲章です。
今でも、功績のあった業界人に送られる「春の叙勲」とか、学者や芸術家に送られる「文化勲章」がありますよね。

『♬ツッパルことが男のたったひとつの勲章』と言う歌詞がありますが、私たちは、特に男は勲章好きです。これは、胸から下げるものに限定して言っている訳ではありません。勲章とは、他人の評価のシンボルです。

いろいろな勲章を考えてみたいと思います。
まず、国や特定の団体から認定されて与えられる勲章や賞。
春の叙勲、文化勲章国民栄誉賞、あるいはノーベル賞。少なからず褒賞金は出るものの、衆人環視の中、飲み食いに使う訳にいかず、慈善団体や所属団体に寄付したりするので、基本『貰った人』という評価が特典です。
ただ、貰った時は良くても『貰った人』が後で重荷になることがあるので要注意です。例えば、川端康成氏はノーベル文学賞作家のビッグネームの重圧に耐え切れず自殺したと言われています。
要らないかと言われれば、「くれるんなら貰っておこう」となりますが、作家さんが仕事が増えたり、名誉に応じた昇進がある以外は、たまに思い出したように褒められる程度。桑田佳祐氏のようにせっかく貰った紫綬褒章を茶化したくなる気持ちは分かります。

名誉職と言われるものも、勲章の類いです。
私の住んでいる行政区で役員を務めた時、前に出た人が自己紹介をしましたが、どの人も10近くの役職を兼務していて驚いたことがあります。
よく長い役職を覚えていて、すらすらと立て続けに言えるものだと感心しました。
それだけ成り手がいないから、地元で顔の売れた人に集中するのが実情のようで、つくづく申し訳なく思います。
ただ、中には「男として生まれたからにはひとかどのものになってナンボ」と好きこのんで引き受ける人もいます。実際の報酬は僅かばかりで、人間関係の調整に苦労しながらも、名誉になると思うからこそ奔走します。さながら、売って幾らにもならないのに、重い思いをして胸からジャラジャラとぶら下げている勲章に似ていませんか。

昔なら、権力者は官位官職に執着しました。太閤秀吉は小作上がりの出自の貧しさを消し去るように、権威ばかりになっていた朝廷に取り入り、関白、太閤と朝廷での官位を求めました。
平清盛も、公家たちの飼い犬であった武家の身分に忸怩たる思いを抱きながら、朝廷に固執して公家社会での立身を目指し、最後太政大臣まで登り詰めました。
武家として勢力拡大を図った徳川家康源頼朝と違いがでたのは、出自故のコンプレッスが強かったからでしょうか。
ただ、官位官職を求めるために、莫大な金子と労力を使いながら、死後その政権が短期に崩壊したのは、実利より名誉職と言う勲章を重んじた報いなのだと思います。

最後、男性ならば、容姿端麗な人と結婚したいもの。
それは、ひとえに性欲ばかりではなく、人前に一緒に出た時に羨望の眼差しで見て貰えるからです。言わば、生きている勲章ですね。
理想の結婚相手の条件は、むしろ甲斐甲斐しく世話をしてくれたり、感覚を共有できたりする方が大切です。
何故なら、どんなキレイな奥さんでも家にいる時はあまり顔を見ていないものです。むしろ家では、ご飯の味の方に感心が向いていて、たまに外出した時に「うちの嫁さん、結構イケてるやん」と思う程度。
むしろ、無理して家柄の良い美人を貰うと、お金がかかったり、相手との釣り合いに苦しむことになります。
ですから、奥さんはまず器量より気立て。なんですが、どうしても外見に目が向くのは、男として美人と結婚することはステータスであったり、勲章であるからでしょうか。

以上、いろいろな勲章を見て来ました。
勲章は、必ずしも得るための努力と、持っていることによる価値が釣り合っている訳ではありません。
私たちが毎日欲しくて求めているものの中に、結構この勲章の類いがあるように思います。
そう考えれば人生の見え方が変わるかも知れません。