今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人生の帳尻


(写真:雨上がりの庭園)

時折『人生はフライパン』という例え話を思い出します。

人生というフライパンには、甘い豆と苦い豆が入っています。
甘い豆は食べやすく、苦い豆は食べるのがたいへんです。しかし、最後は残さずに全て食べなければなりません。
最初に甘い豆ばかり選んで食べた人は、最後苦い豆ばかり残って辛い思いをして終わらなければなりません。
最初に頑張って苦い豆を食べた人は、人生の後半甘い豆ばかりの幸せな人生になるでしょう。
甘い豆と苦い豆を代わる代わる食べる人は、ずっとそのような人生が続きます。

誰か、人間の幸せの総量は平等であり、最後は何処かで帳尻が合うと言った人があります。
若い頃に、親の威光で苦労せずに人生を歩み始めた人が、親が亡くなって威光の傘が無くなった途端、誰からも相手にされなくなり辛い半生を送ることもあります。
勉強や勤勉を嫌い、若い頃に放蕩三昧で過ごせば、中年からの人生は悲惨に尽きるでしょう。
反対に、出自が貧しく惨めでも、それをバネに奮起して大成功を収め、晩年にたいへん恵まれる人もいます。
若い頃から健康に人一倍気を使い、食べたいものも、飲みたいものも我慢した人は、歳とともに周りが体調を崩す中、一人健康を保つでしょう。
私たちのように、幸せもほどほど、苦しみもほどほどの人生を送るものは、「もう少しなんとかならないか」と愚痴りながらも一生楽しみ半分苦しみ半分の人生を過ごします。

しかし、世の中には、幸せを一人占めしているような人がいるのも事実です。
ビル・ゲイツやイチロー、孫社長の人生の幸福の総量と、自分の人生の幸福の総量がとても同じとは思えないからです。
しかし、蒔かぬ種は生えぬ、蒔いた種は必ず生えると言う因果論は曲げられないので、彼らが今それだけの結果を受けるためには相応の種まきが過去になければなりません。つまり、種まきと結果の帳尻ばかりキチンとあっていることになります。

それは、この短い人生の80年で見ていても分からないでしょう。生まれ変わり、死に変わりの多生を俯瞰して初めて、ビル・ゲイツやイチローが、今生才能に恵まれて生まれることができた理由を分かるものなのかも知れません。
そうすれば、今の自分を作ったものは自分自身であり、今生恵まれた出自の人は、過去世にそれなりの種まきがあったことになります。
ただ、それに溺れ易いのも人の常です。
金持ちの家の子弟が周りを貧乏人と蔑んだり、才能豊かな人がそれに溺れて努力を怠ったり、美人がチヤホヤされるのを良いことに内面を磨くことを忘れたら、いずれ良い種は尽きてしまいます。そして、悲惨に転落するでしょう。それは、甘い豆を先に食べ、苦い豆ばかりが残った状態です。

つまるところ、自分の未来を紡ぎ出しているのは、現時点の自分なのです。
未来のため、今の順境に溺れず、逆境に腐らずたゆまず努力したいものです。