今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

クリエイターと言う仕事


(写真:3月ひるがの)

人間は、誰しも生まれもってのクリエイターです。
クリエイターは、「創造する人」という意味なので、その人なりの何かを他者に向けて発信すれば「クリエイター」と言えます。

赤ちゃんの頃は、お母さんの関心を買わなければ、オムツが取り替えて貰えなかったり、ミルクが貰えなかったりするので、赤ちゃんなりに泣き方や仕草を「クリエイト」して母親に発信しています。

それから少しずつ自分で動けるようになると、可愛らしい仕草をして親の反応を伺います。良い反応があれば、それを繰り返して関心を引こうとします。これも一つのクリエイトです。

成長するに従い、クレヨンを握って絵を描いたり、歌を自作したり、あるいは自分でお話しを作ったりと、どんどんクリエイトの幅は広がっていきます。
それが、思春期になると、それを生きる糧にしたいと真剣に考える人も現れます。漫画家、小説家、音楽家、絵描き、ゲームクリエイター等。
今は、プロでなくても実力を試す場所がたくさんあるので、モチベーションの高い子供には恵まれた時代と言えましょう。

さと、就職となると、なかなかクリエイターと横文字の肩書きが入る仕事につくのは勇気が要ります。
ミュージシャン、漫画家、小説家、番組クリエイター、アーティストなど、耳触りは良いものの、それはごく一部の売れている人のことで、基本的に出来高払い、売れなければ普通の社会人の何分の一かの低収入に耐えなくてはなりません。
余程好きか、あるいは自分の才能に自信がなくては進める道ではないのです。

しかし、私たち一般人は、クリエイトしていないかと言えば、肩書きが「クリエイター」でないだけで、毎日の仕事がクリエイトそのものです。
提案書一つ作るにも、あるいは報告書一枚まとめるにも、誰に向けて、何を伝えるために、どうしたら分かりやすく伝わるかを考えて無い知恵を振り絞ります。これは、立派なクリエイターとしての活動です。
それが何千万のお金を生むこともあれば、多くの人の業務の役に立つこともあるので、小説家や漫画家に劣らず社会的に影響を与えているクリエイターとは言えないでしょうか。

以前、お客さんと話をしていた時、お客さんの身内に有名なアーティストがいると聞きました。世界的に名前の知られた人で、生の原画が何百万も値があるそうです。
その時は感心して聞いていましたが、考えてみれば自分の考えたソフトが何千社の事務所に入り、5年間朝から晩まで使われる方の業務に関わります。
有名なアーティストの絵が10億人に1分間認識されると、約1670万時間。対して、私のソフトが1000人の人に月160時間、5年間使って貰えば、960万時間。
そう考えれば、有名アーティストに負けず劣らず世の中に影響を与えているとは言えないでしょうか。
もちろん、クリエイターの名前が表に出るか、出ないかの違いはありますが、大いに自分の仕事を誇っても良い気持ちになります。

ただ、クリエイターである以上は、自分の考えたもの、作り出したもので世の中と直接対峙しなければなりません。
企業の看板や、組織の庇護は関係ありません。良いものは良い、悪いものは悪い、世の中の評価が全てです。
その意味では、裸で世の中と向き合うのです。
自分の仕事に言い訳ができない分、たいへんなやり甲斐があるのがクリエイターという仕事です。