今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

波を数える男

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(写真:飛翔)

海岸で男がうなだれて座り込んでいました。
通りかかった人が訳を尋ねると、「この海岸に打ち寄せる波をずっと数えていたのだけれど、途中で幾つまで数えたか分からなくなった。」と肩を落としています。
それを聞いて、その人は「だからと言って、波がもう来なくなる訳ではない。今日も明日も明後日も、波は打ち寄せ続けるのだから、また一から数えればいいじゃありませんか。」

これは、笑い話とばかり言えない教訓を含んでいます。私たちも数えた波に拘って生きているからです。

長い間生業としてきたことが時代の流れで左前になることは世の常です。
例えば、昔は喫茶店がこぞってインベーダーゲームを導入しました。一回100円、当時の子供たちにとって決して安い金額ではありません。しかし、それでもゲームをするために100円玉を握りしめて喫茶店につめかけました。中には、1日5000円を使う子供も現れて、社会問題にも発展しました。
今考えると初級プログラムのようなソフトでしたが、このゲーム機があげる収入で喫茶店はおおいに潤い、飲食の何倍も売り上げる店もありました。

しかし、そのブームも数年で下火になり、麻雀ゲームに変わったな、と見ていたら、気が付けば喫茶店からはゲーム機がことごとく駆逐されていました。
あるいは、ゲームで沸いた店のうちかなりの数が廃業したものと思われます。ゲーム収入がダメだから、昔ながらの飲食メインに回帰しようとしたのですが、本来の顧客はゲームの喧騒に沸いた時期にことごとく離れていったのでしょう。
それでも、インベーダーゲームが下火になった段階で、店からゲーム機を出して、飲食への回帰を計った店は生き残れたと思われます。
インベーダーゲームの後、二匹目のドジョウを探し続けて、麻雀ゲーム、お色気系と業者の言われるままに投資を続けた店は、すっかり下世話なイメージが染み付いて普通の顧客は寄り付かないようになりました。薄利の飲食での収入に対して、置くだけで収益があがるゲーム機の旨味に慣れてしまうと、なかなか元に戻るのはたいへんなようです。

これは、まるで途中まで数えた波の数を「1万まで数えたのに」=「昔は良かったのに」と拘っているようなものです。
波は次から次と寄せては返すのですから、「数えることに失敗したら、すぐに頭を切り替えて新しく波を数え始める」=「商売の潮目が変わったら、時代に即した商売のやり方に切り替える」でなくてはなりません。

ITの世界では、専用機→パソコン→Windowsクラウドと技術の基盤が変わってきました。そして、それぞれの段階で、新しく波を数え始めることができなかった人たちが存在します。
新技術は、それまで苦労して覚えたものをたちまち陳腐に変えます。せっかく覚えたのに勿体無いと言いながら、変わることを拒んでいると時代に取り残されます。
しかも、これは今に始まったことではありません。それなのに、架空の時代を思い浮かべて「昔は良かった」と言っていてどうなるものでしょう。
今まで数えた波にとらわれずに、常に新しい波を数え始めるモチベーションはいつの時代でも必要だったのです。