今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人生の卒業式

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(写真:春の吊り飾り)

人生には、何回も卒業式があります。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、自動車学校を含めても良いかも知れませんね。
定年も、長らくお世話になった職場からの卒業式です。

卒業式とは、それまでの学び舎で良く学び、自己研鑽に努め、そして習得をしたことに対する認定の場です。昔なら免許皆伝でしょう。
そしてもう一つの意味は、ここで身につけたことを活かして、これからもっと大きな世界で活躍しなさいという壮行会です。

ですから、卒業式とは一つのゴールではありますが、次のステージへの通過点に過ぎません。そして、人生の卒業式までは、学びと研鑽の日々は続きます。
では、その人生の卒業式とはいつのことでしょうか。
ある人は、それを「人生の卒業式は臨終と心得よ」と教えています。
つまり、幾つになっても人間は、良く学び、よく研鑽し、油断があってはなりませんよ、ということなのです。
大事をなしながら晩年気を抜いて、晩節を汚す人の如何に多いことか。
若い頃は威勢が良くて皆んなも認めていたのに、歳をとって現場を離れたら見る影もない。特に、官僚のように権力に近い位置にいた人間や、芸能人のようにスポットの当たる場所にいた人間によく聞く話です。

現役のころは、家の前まで黒塗りのリムジンが迎えに来て、意気揚々と職場の官公庁に乗り付ける。接見を求める人は引きも切らず、まさに門前市を成す賑わいです。皆が頭を下げるので得意の絶頂、しかしやがて高い退職金をもらって職場を離れます。
それでやれやれと思うのは束の間で、今までやれ「局長だ」、「次官だ」と上げ膳下げ膳の扱いが、ただの叔父さんになってしまえば誰も興味を示しません。だんだん家の中も居づらくなって、公園で日長1日寂しく過ごす。プライドがあるので地域にうまく溶け込むこともできず、引きこもりになったり、うつになったり。

あるいは、人気俳優さんが引退後、認知症を患い、介護施設で自分で自分のこともできぬまま侘しく過ごしている。家族とは、仕事がらどうしても疎遠になり、見舞客も来ない。
まるで何処かで聞いた話ですが、週刊誌で、現役のころ好きだった俳優さんの晩年の様子を報道されると心が痛みます。

そう考えると、人生は若くて力もあり、勢いもある時のみで評価できないのではないかと考えてしまいます。
むしろ、力を失い、病を患い、人の世話になっている時の生き方に、その人生の真価が出る気がします。
小学、中学、高校、大学、そして社会に出て与えられるポストの一つ一つが人生の新しいステージです。
もっと言えば、退職後の生き方も、体の自由を奪われてからの生き方も、新しく始まったステージなのです。仕事が終わっても、人生が終わった訳でない。本当の卒業式は、臨終なのです。
その時まで、その時々のステージでどのような、皆んなの心に残る生き方ができるか、そして振り返って悔いなく生きられるか。
ずっと、学びと研鑽が続くのだと思います。