今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

歴史は勝者ではなく、生き残りが書く

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(写真:錦往来)

吉川英治氏の小説や、横山光輝氏の漫画で有名な三国志

魏、呉、蜀の三国の興亡を描いた歴史物語です。
魏王が曹操孟徳、呉王が孫権仲謀、そして、蜀王が劉備玄徳。
私たちが親しんでいる三国志では、曹操孟徳は残虐非道な悪役で、劉備玄徳は義に厚い善玉。その劉備を助けて、関羽張飛の義兄弟や、名軍師 諸葛亮孔明らが活躍します。
そして、孔明の策により、赤壁の戦いで、蜀と呉の同盟軍が曹操の魏軍を完膚なきまでに打ち破るのに胸踊らせるのです。

この私たちの劉備観や曹操観は、中国は明代に書かれた小説『三国志演義』の歴史観によります。
魏、呉、蜀の三国は、後漢滅亡後に興った国で、曹操後漢の高給官吏でした。三国時代、この三つの国は激しく自国の正当性を主張しました。
そして、三国時代後も、いずれが正当かの議論が続いていったのです。

まず、魏が蜀を滅ぼした後、魏から禅譲(皇帝が血縁でないものに、その地位を譲ること)の形で、司馬炎が晋を建て、その晋が、魏を正当と主張しました。
やがて、南北朝時代に晋の力が衰えると、蜀こそが漢の正当な後継者であると主張されるようになります。
さらに時代が下り、宋の時代でも三国のいずれが正当かの論議は盛んに交わされ、『資治通鑑』を現した司馬光らは、中国の過半を支配した実情に鑑みて、魏を正当としました。
やがて、朱子学が広まると同時に朱子が唱えた蜀漢正当論が広まり、それが『三国志演義』の歴史観に影響を与えたと言います。

漢の建国をしたのは、かの劉邦です。劉備も、同じ劉姓だったので、漢民族の政権下で彼が支持されたのが実情ではないでしょうか。
そう考えると、『三国志演義』のおかげで、すっかり悪玉にされた曹操も気の毒です。
そのためか、『蒼天航路』などの最近の作品で、曹操を再評価しようという流れもあります。
事実、曹操劉備、晩年を比べれば、よりしっかり国の基盤を作ることができたのは曹操の方です。また、結局蜀は魏に滅ぼされ、魏の流れ汲む晋が次の覇者だったことからも、実績では曹操に軍配が上がります。
私の知り合いには、曹操孟徳のファンだという人もいます。

これは、一つの好例ですが、私たちが「歴史的な事実」と思っていることに、この手の話が多いかも知れません。
例えば『太閤記』では、織田信長を討った明智光秀は悪玉で、主君の仇を取った羽柴秀吉は善玉。
しかし、最近の大河ドラマの描かれ方では、織田信長の非道ぶりに眉をひそめ、むしろ伝統を守ろうとした文化人の明智光秀が登場します。
配役も、冷徹な感じのする人から、温厚な感じの俳優が選ばれています。
そう考えると、私たちの歴史観は、人気小説や、次世代の政権の刷り込みに大きく影響されていることが分かります。
その豊臣秀吉にしても、徳川政権下でどれだけ善政の記録が散逸したことか。歴史の真実はタイムマシーンの登場を待たなくては分からないのでしょうか。

ただ、もしその人が手ずから書いたものがあれば、その人の人となりに近づけるかも知れません。
世間に一般に信じられていることによらず、公平な立場で資料を精査してこそ歴史の真実に近づけるようです。