今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

いつも、say yes!

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(写真:夕焼け雲)

傍目八目と言います。
側で見ている人には目が8つあるということで、やっている本人は気が付かないことが、少し離れている人にはよく見えます。

よく落語なんかで、長屋の路地に長椅子を出して、ご隠居と熊さんが将棋の対局をしている場面が出てきます。
何度やってもご隠居に手も足も出ない熊さんに、側で見ている八つぁんはもどかしくてたまりません。
「ああ、馬鹿だなあ、熊さん。なんでそんなところ打つんだよ。ほら、飛車だよ、飛車で金を取るんだよ。」
いちいち世話を焼いてくる八つぁんに、ご隠居と熊さんはすっかり閉口してしまいます。
挙句に熊さんが詰んでしまうと、「ああ、だから言わんこっちゃない。俺の言う通りにしておけば勝てたんだよ!」と言うもんだから、熊さんもすっかり腹に据えかねて、「やかましい。八!てめえがゴチャゴチャ言うもんだから、すっかり調子が狂っちまったじゃねえか。そんなに言うんなら、おめえやって見ろ!」
それで、「ようし」と熊さんに代わって八つぁん、勇んでご隠居と差し向かいになります。
ところが、結果は惨敗。
「ほうら見ろ。おめえだって、偉そうなことを言って全然じゃねえか。」
八つぁんもバツが悪そうに、「えへへ」と頭を掻くしかありません。

人がやっていることは、よく見えるので、誰しもそれなりの評論家になれます。
野球なら「あの監督の采配はなってない」とか「俺なら、あの場面でピッチャー交代はない」とか。
聞いていると、なんかその人が監督をやった方が良さそうですね。
あるいは、政治家や企業の経営者に対しても、一言もの申すコメンテーターや大学教授、ブロガーは山ほど居ます。
それを感心して聞いている私たちからすれば、「代わりにあなたが政治や経営をしたらどうか」と思います。

それなら大学教授が大臣になれば全ての問題が解決するかと言えば、現実はそう上手く行きません。
実際やっている人は、側から見ていて分からないしがらみや、調整事項をたくさん抱えているのです。
それを横目で見ていて「自分の方が上手くできそうだから」と調子に乗って手を出せば余計酷いことになるのは、前の前の政権交代で身にしみたことでしょう。
やはり、側で見ているのと、実際やるのは雲泥の差です。

また、言われる側からすれば、側からゴチャゴチャ言われるのは、非常に腹立たしく、また、うるさいものです。昔はよくこれを「外野がうるさい」と表現する人がいました。
「よくも知りもしない癖して、偉そうなことばかり言って腹が立つ!」
専任の担当を自認すればこそ、このような感情が噴き出します。
酷い場合は、「俺のラーメンの味が分からねえ客には食べて貰わなくても構わねえ」と、お客さんの上に立っている頑固店主もいます。
もっとも、それを売りにしていれば良いのですが、単に我執我慢を通す為だとしたら結果は悲惨です。

しかし、側目から見ていて、気が付かない点を指摘して貰えているのは事実です。
それが、10のうち1だとしても、その1を拾わないのは残念です。もっともその為には、あとの9も我慢して聞かなくてはなりませんが。

ですから、側目や外野、お客さんの指摘には、いつも「yes」と言える心の余裕が必要です。
まずは、「yes」「ご指摘有難うございます。」
それで、相手は勢いづいて、調子の良いことをドンドン口にするかも知れません。でも、それで良いのです。
相手の言葉の中のキラッと光る砂金を探すのです。

どうしても、専門でやっていたり、時間をかけて取り組んでいると、外野の発言は許せないものです。まるで、時間をかけて無駄事をしているように言われた気分になります。
でも、そこは我慢。
そして、常に「yes」。もし、明確な根拠があれば、やんわりと「but」。
そうすれば、不用意な発言をした方は恥ずかしくて後で謝ってくるでしょう。
ついムラムラっと来たら、これを思い出して、自然に「yes」が出てくるように勤めたいと思います。