今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

異質と付き合う

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(写真:電線と青空)

人間は本来10人10色です。
考え方も、興味も、得手不得手もみな違います。でも、私たちは自分の感性でしか人を見られないので、自分と同一であることを求めます。

友達や、夫婦、恋人などは、むしろ異質性が面白い味を出すこともありますが、それでも付き合っているうちにだんだん似てくるようで、「似た者夫婦」という言葉もあります。
特に、職場では同じ方向に向いて、同じ結果を出さなければならないので、必然的に同一のスキル、同一の感覚を求めるようになります。

そのせいか、同じ所属のメンバーはその上司のカラーに染まるものです。
職場でのやり方の良し悪しの基準はあって無きがごとし。つまり、結果が全てです。上司が変われば、前の上司に叩き込まれたことはさて置き、新しい上司の考え方に慣れなければなりません。
同じ組織は同じ方向に向いているのが望ましく、それが一定の結果を上げるには早いのは間違いありません。

しかし、私のように不器用な人間は困ります。
上の人だろうが、同僚だろうが、下の人だろうが、自分と違う考え方や感覚を理解するのに、とても時間がかかります。

だから上からは扱いづらい、下からは物分かりが悪いと思われて来ましたし、この歳になれば、それが変えられないのは仕方ないかなと思うこともあります。
反面、相手の言っていることが理解できると、「ああ、なんでこんな簡単なことが理解できずに、時間ばかりかかってしまったのだろう」と、相手の人に申し訳なくなります。
つまり、きちんと聞いて、理解しようとしない自分の問題も大きいわけです。
相手を理解せずして、自分への理解ばかりを求めるのはたいへん虫の良い話です。

そんな私ですが、最近「リフレーミング」という言葉を覚えました。
フレーミングとは、ものごとの意味付けを変えて、捉え直すという手法です。
例えば、友達が頑固で譲らない人だったとします。
それを自分の都合だけで「頭の固い分からず屋」と見るのでなく、「いつも、しっかり自分を持っていて、ブレない信念の人」と見れば、むしろ学ぼうとする気持ちが起きます。

自信がなくて、いつもフラフラの指示をしている人がいた時、私たちは我が身のことを棚に上げて、「頼りない、役割に相応しくない」と揶揄します。でも、「本来苦手なのに、私たちのため、一番やりたくない仕事を買って出てくれている」と思えば、「有難いな、支援させてもらおう」と心が変わります。

相手を理不尽と感じ、また異質性を排除しようと思うのは、所詮感覚の相違に過ぎないことが多いのです。
そんな時、相手の異質性を攻め、ネガティヴな評価をすることで、心の中で相手を貶めて、一人悦にいっていることはないでしょうか。
そんなことだから、いつまでも相手から学ぶことができなくて、成長も遅いのだと反省されます。

要は、自分自身が相手のことをろくに見ていないのです。
それで、「理解されない」「浮いている」「俺は一人で良い」は情けない。
大河ドラマ『花燃ゆ』で、「つまらぬ、つまらぬ」と言い続ける高杉晋作に、久坂玄瑞が「つまらぬのは、お前がつまらぬ人間だからだ」と言うシーンがありました。
ちゃんと見れば、この世も、周りも、学ぶこと、面白きことが多いのです。
自ら異質性に対して目や心を閉じずに、きちんと見て向き合いたいと思います。