今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

解決策を売り込まない

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(写真:病葉(わくらば))

「話を聞いてもらいたい女性、すぐに結論をだしたい男性」

「ねえ、あなた、お義母さんのことなんだけどね、この間も子供たちに着せてくれって、知り合いのお古をたくさんもらってきたの。その気持ちは有難いのだけれど、そんなにお古ばかりくれてもねえ。子供たちも『お古は嫌だ』って言うし。」
「『うちは、要らないから、貰って来なくて結構です』って言ったらどうなんだ。」
「またあ、いつも簡単に言うけど、ピンポ〜ンとチャイムが鳴ったら、古着を両手一杯抱えてお義母さんが立っていらっしゃるのよ。そんな『もう要らないから持って帰ってください』なんて言えないわよ。」
「それで嬉しそうに、お愛想の一つも言うんだろ?」
「当然でしょ。」
「それで母さんがますます勘違いするんじゃないか。」
「なら、あなたから一度断ってよ。」
「俺が?う〜ん、そんなの一度受け取って燃えるゴミの日にでも処分したらどうだ。」
「やっぱり、あなただって言えないんじゃない。それに、捨てればって言うけど、『この間の服どうだった?たまには着せて見せてよ』って言われるのよ。」
「で、どう答えるんだ?」
「だから、『ゴメンなさい、今日はどうしても、お気に入りの服でおばあちゃんに会いたいっていうもんだから。今度着せてきますね。』って誤魔化すわよ。」
「そう言い続ければいいだろ?」
「でも、さすがにこの間は『やっぱり気に入ってもらえないのかねえ』ってムスッとしてらっしゃったわ。ましてや、捨てるなんて、とても申し訳なくて。」
「じゃあ、しょうがないじゃないか。俺にどうこうできないだろっ。」
「そうね、聞いた私が間違っていたわ。ゴメンなさい。」

と、なんとなく気まずくなります。
よくある家庭での会話の一幕です。

男は太古以来、外で身体を張ってきた記憶のせいか、状況を一瞬で判断をしようとします。
ですから、命題を投げかけられると条件反射的に答えを出そうとします。
その際、相手の質問の意図が分からなかったり、情報が不足していると、「質問の意図が分かりません」とか、「結局、何を求めているの?」と女性からすれば不親切に聞こえる受け答えをしてしまいます。

でも、例えば家庭で投げかけられる命題では、求められているのは解決策より、むしろ「共感」です。
おそらくどうすれば良いのか、奥さんだってよく分かっています。しかし、そんな理屈通りにいかないから困っているのです。
そこに、男から偉そうに「ああしたら、こうしたら」とありきたりの提案を言われたら腹が立ってしょうがないでしょう。

元来、女性は男性が外で身体を張って頑張る以上に、家の中やコミュニティーを守ってきました。そこで必要なのは、コミュニケーション力、共感力。
ですから、女性が大切にし、求めているのは、イエス・ノーだけでなく、理解、共感、そして会話です。
おそらく、奥さんはご主人に「まあ、母さんにも困ったもんだけど、君がしっかりしているから、母さんと僕たちがうまく行っているんだよ。」と言ってもらいたいのです。

この関係は、他にも男女間だけでなく、上司と部下、業者とユーザー間でも発生します。

例えば、忙しい上司に対して投げかけを行う場合、下の立場の人間はイエス・ノーで答えられるレベルまで質問を落とし込む必要があると感じています。それは上司に求めているのは判断であって、即座に判断を貰えるように、上司が補完すべき情報を極力減らす必要があるからです。
ちょうど、女性から男性にする気遣いと同じです。

逆に上司、あるいはアドバイスをする立場としては、安易に解決策だけを伝えないのも大切だと思います。
それは質問を受けた時、イエス・ノーだけでは、その結論に至ったプロセスを理解して貰えないのと、やはり本人にも思考をする機会を与えるべきであると思うからです。
また、イエス・ノーだけでは、部下も寂しく思うでしょう。
すぐに、答えを出さなくてはならない場面を除けば、そこは、すぐに解決策を言いたくなる心をグッと我慢です。

あるいは、お客さんに対しても、できる、できない、知ってます、知りませんだけの関係では寂しいでしょう。
お客さんは、私たちが思っている以上に、うまく言葉にできないモヤモヤに対して共感を求めています。
その時、私たちは答えを出せないかも知れません。いや、そもそも答えもないのでしょう。
解決策を示せなくても、自分のために一生懸命やってくれた、調べてくれた、の方を評価してくれることがあります。
安易に解決策を売り込むことはできます。しかし、それはお客さんの満足の80パーセントかも知れません。
こちらは80パーセント満たしたと満足していても、下手するとお客さんは十分説明をしてくれなかった、フォローしてくれなかったと、不満しか持っていない可能性もあります。

私たちは、イエス・ノーだけの解決屋だけでなく、お客さんの気持ちに伴走できる会社でありたいと思うのです。