今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

あえて理不尽を受け入れる時

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(写真:尾をひく飛行機雲 その2)

人のことを理不尽に感じる時、どんな場合があるでしょうか。

ひとつは、相手が一般の常識から外れたことをしてきたとき。
例えば、以前たびたび報道されていましたが、卒業間際になって就職予定先から内定を取り消された場合とか。
これは、誰が見ても理不尽であり、おおいに声を上げなくてはなりません。

ふたつには、自分の感覚と相手の感覚に違いがあるとき。
自分が正しいと思っていることを、相手は間違っていると言い、自分が間違っていることを、相手は正しいと言います。
しかも、お互いに自分の正当さを主張して譲らないので、ずっと平行線が続きます。
おそらく最後は声の大きい方か、譲らない方が押し通すのでしょう。ただ、押し切った方にも後味の悪さが残り、押し切られた方にも怨みの感情が残ります。

一度、相手を無理矢理押し切ろうとしたことがありますが、結果的に本当の協力は得られず、かえって苦労した覚えがあります。
後で、もう少し言い方があったのでないか、もっと相手の立場に立つべきだったのではないか、と反省しました。

もちろん、今でも自分の方が正しかった、と言う思いはあります。
しかし、相手が何故そういう考え方をしたのかを理解する必要もありました。
そのためには、相手のその理不尽と思われる発言を、全否定ではなく、一度自分の口から出たらどういう印象になるか想像してみる。
人間は誰しも欲目という色眼鏡で自分を見ています。他人が聞いたらおかしなことでも、自分の口から出たら、それなりに正しく思えます。
ならば相手の発言も、自分のものと想像すれば、相手の気持ちや思考プロセスが理解できるかも知れません。
その上で、相手に一定の理解を示しつつも、自分の思いを伝えることができれば、コミュニケーションはずっと楽になるでしょう。

余程の人物でない限りは、自分の感覚に合わないことを言われると気色ばむもの。
そんなとき、どちらかが敢えて相手の理不尽を呑み込んで、その気持ちになってものを考えなくては一向に進みません。
その点、私はまだまだですが、心がけたいと思います。