今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

未来に生きる

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(写真:朝焼けのステーション)

『青年は未来に生き
老人は思い出に生きる。
輝かしい未来を夢見て生きる人は永遠の青年である。』

普通、私くらいの年になれば立場もキャリアもそれなりにあるものです。
ただ、私はそのような努力を怠ってしまったので、今も走り続けています。
自分が怨めしくもあり、しかしまた有難いとも思います。
それは、未だに走り続け、失敗し続けているため、心が守りに入る余裕がないからです。
年甲斐もなく恥ずかしい、とも思いますが、逆に言えば気持ちがずっと若いと言うこと。「幼い」と言われればそれまでですが、ものは言いようで「少年の心を失わない」という言い方もあります。

かつて、漫画家の手塚治虫氏の人物評を読んだことがあります。
「あれほどの大御所になっても、少し面白い作品が出てくると『ようし、俺も』といつも負けん気を発揮していた」そうです。
そう言えば、手塚治虫氏の代表作「ブラックジャック」を読むと、同じ少年誌で同時期に連載していた人気作のパロディーがたくさん登場します。
がきデカ」「エコエコアザラク」のようなベテランの作品から、「マカロニほうれん草」のような新米さんの作品まで。さぞやネタにされた当該の作家さんは舞い上がったことでしょう。

逆に言えば、それだけ手塚先生は、同誌の人気作品を意識していたわけで、いわゆる「ようし、俺も」といつも負けん気を発揮していたということです。
さすが、生涯を通じてトップランナーだった漫画界の第一人者です。
常に今に安住せず、目をキラキラ輝かせて、もっともっとと、前に進むことしか考えない、永遠の青年なのです。

一部のクリエイターのように、大人になってはいけない職種はあります。大御所が年齢を重ねて、「ついに俺は大人になれなかったなあ」と嘆息することがありますが、それこそ彼らの本分です。
女性の完成形は少女であり、究極形は母親です。
しかし、男性の究極形は少年なのです。

大御所と比較しては申し訳ありませんが、私も大人になることを諦めた一人です。そして永遠の青年の道を生きたいと願うのです。
ずっと、しょうもない生き方をして、しょうもなく死んでやる、それでも構いません。キラキラ目を輝かせて生きたい。ヤケクソではなく、そう思います。