今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

謗られるのは結果を出している証拠、褒められるのは見下げられている証拠

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(写真:春遠からじ)

『隣の貧乏、雁の味』

人間は浅ましいもので、人の不幸が大好きです。
昔よく「どこどこの息子さん、東大に行ったんですって」とか、「一流企業に就職したんですって」とか、母親から聞かされる度に嫌な気持ちになったものです。
反対に「せっかく良い企業に就職しても3カ月でやめて、仕事を探しているんですって」と聞くと、本当は「気の毒に」と言うべきところ、なんとなく良い気分になる。

それから、「隣の貧乏」(人の不幸)は「雁の味」(聞いていて気分が良い)と言われるのでしょう。

タイムラインに掲載される記事も、新聞の紙面も、まず目が行くのは「減収減益」「経営破綻」「離婚」「降板」とか、人の不幸の記事です。
「暗い記事、悲惨な記事ばかり書くから世の中が暗くなるのだ」と私たちはマスコミを批判します。確かに、「暗いこと」以上に「明るい」ことはあるはずですが、その「暗い、不幸」な記事を読みたがるのは私たちですから、あながちマスコミの所為だけではありますまい。

素直に自分の心を見れば、成果を出している人は引きずり下ろし、成果が出ていない相手は、心の底で馬鹿にする。
その証拠に、人が「頑張っているね」と称賛する相手には、「条件が良いからだ、それに比べて自分は悪条件の中、これだけやれている」と関係のない自分まで引っ張りだして対抗しようとします。
反対に「彼は苦労しているんだよ」と聞くと、「よし俺が励ましてやる」といい気になって出しゃばる。当然、上から目線で接するので嫌われます。
『もの言えば唇寒し秋の暮』で、思い返してみれば、消してしまいたい言動の数々に思い当たり、それこそ穴があったら入りたい気分です。

また、これを反対の立場から考えてみましょう。
『謗られている時』=「妬まれている時」=「結果を出している時」です。
『褒められている時』=「相手が妬ましく思わない時」=つまるところ「見下げられている時」です。
確かに何か言われるのは、スポーツならば強いチーム、強い選手です。
反対に落ち目のタレントを久しぶりにバラエティーで見たら「メッチャ嬉しい」「頑張れ」と口にしますよね。

世間の謗りは認めてもらっている証拠、世間の称賛は「馬鹿になれ〜」の悪魔の囁きです。順境、逆境を問わず足元を見つめて一歩一歩確実に進みたいと思います。