今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

老人の気持ち

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(今日の一枚、下園公園は名古屋観光ホテルの向かい側です。水車もあります。)

世の中のコンテンツは、現役層が発信します。とくに、CMのような商業的コンテンツは、消費者層である若い世代に向けられたものがほとんどです。
ゆえに、私達は高齢者の皆さんがどんな現状に置かれ、どんな気持ちで過ごしておられるかを知る機会がありません。

お釈迦様に四門出遊という有名なエピソードがあります。
お釈迦様はご存知のとおり、王子の身分で生まれました。
城の中で毎日多くの従者にかしずかれていたのです。
そのお釈迦様(当時は悉達多太子と言われました)がある時、城を出て遊びに行こうと言うことになりました。

そこで、まず東の門から出掛けると、腰は曲がり、顔に皺がより、杖をつきながらヨロヨロと歩いているものがいます。
太子、驚いて「あれは何だ!」と聞きました。
側近は「あれは、老人です。人間は誰しも歳を取り、あのような姿になることを避けられないのです。」
城で若い従者に囲まれていた太子の衝撃はいかばかりであったでしょう。
しかも、その姿が確実な自分の未来とは。

その後、太子は、南の門で病人に、西の門で死者に出会います。そして、その度に大きな衝撃を受け、確実な未来に暗澹たる気持ちを抱かれました。
最後、南の門で、修行者に出会った太子は、「人間は必ず老いる、病に冒される、死からは逃げられない。その解決を求めている修行者のような生き方こそが正しいのではないか」と思われたと言います。

マスコミやインターネットで何時でも情報に触れられる私達は、王宮で情報隔離されていた悉達多太子とは違います。
しかし、商業広告などで、人生の光の面ばかり見せられている私達は、それが人生の真実であると思いこんでいないかと案じられます。
光の中を歩めば、その裏に闇もついてきます。
よく女子高生が「歳を取ってまで生きたくない。40くらいで死にたい」と言いますが、光だけ生きて闇を避けたい、と言うことなのでしょう。
しかし、そんなに都合良くは行きません。

ドキュメンタリーで、老人ホームを映されると、余りの映像にチャンネルを変えてしまったことは、一度や二度ではありません。
しかし、確実にそこに向かっているのも現実です。そういう意味で、「現代人、未だ四門出遊をはたさず」なのかも知れません。

高齢者になることと、どんなに医療や介護を手厚くしても、その現実が厳しいことは変わりません。
そこに身を置いている人たちの現状を正しく見て、声を聞くことが、私たちの未来を開く第一歩であると思います。