今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

ペルソナ

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(写真:プラネタリウムのある赤レンガの建物(安城市))

「ペルソナ」とは、今のパーソンのもとになった言葉で、古典劇において役者が用いた仮面を指します。
心理学者のユングは、人間の外面的側面を「ペルソナ」と呼んでいます。

人間は誰しも多くの役割とそれに応じた顔を持っています。
私なら、会社員としての、社内の顔、お客様にサービスを提供する時の顔。
家内に対する主人の顔、子供に対する父親の顔。
消費者としての顔、気安い友達に対する顔、すこし距離感のある友達に対する顔。
プライベートな集まりでのスタッフの顔、フェースブックにこのような投稿をしている時の顔。もしくは、匿名で書き込みを行う時の顔。

考えてみれば、どれ一つ全く同じ顔は存在しません。
そこは、きちんとその特性を理解して、役割に応じた顔を作ります。つまり、これが、ペルソナ、仮面です。

また、この仮面を適切に被らないとひどいことになります。
一例をあげれば、以前号泣会見をした議員がありました。
あれは、明らかに親や近親者の前で見せる素に近い顔でしょう。
しかし、議員として周りが注視する中です。そこは議員として毅然とした仮面を被ってもらいたいものです。
「人間だから仕方ないよね」と一応理解はしても、今後彼に投票をしようとする人は現れないでしょう。

また、店舗の大型冷蔵庫に寝そべった写真をTwitterで投稿したアルバイターたち。明らかに、社会性に乏しい学生の顔です。しかし、店舗にいるときは、店やお客様のことを第一に考える社会人の顔であるべきです。

もっと言えば、私たちは、そのペルソナ、仮面を、その人自身と見てしまう傾向があります。
以前よく一緒に仕事をした販社の営業さんですが、それまでは細かいところまでよく面倒を見てもらっていました。ところが、その人が退職間近になった時に、以前と同じ感覚で問い合わせをした時に、「面倒くさいことを聞くんじゃない」ともの凄く怒られました。
その時、この人は退職間近になって、仮面を被り続ける必要がなくなったのだな、と理解しました。

また、飲食店を経営している身内から、「おとなしそうな顔をしている普通の会社員が凄いクレーマーになる」と聞いたことがあります。確かにこちらが顧客として接する時の会社員の顔を、そのまま素と思っていたら、そんな対応にビックリするでしょう。

では、どれが自分の本当の顔か?おそらく本当の顔なんてないのでしょう。
歌の歌詞ではないけれど「有りのままに」生きたら、身も蓋もなくなるのが人間です。
ですから、役割に応じて自分か理想とする仮面を被るのです。
男性なら分かると思いますが、情欲に身を任せながらも、次の瞬間には、そんな自分をさらりと否定して、別の仮面を被るではありませんか。

相手に対する時、目に見える人格を全てと思ったら失敗します。許容量の大きい人だと思って甘えますが、実態は一杯一杯かも知れません。

また、自分のことで言えば、中途半端な仮面を被って相手を失望させてはいけないと思います。
優しい仮面は、どこまでも優しく、真面目な仮面は、どこまでも真面目に。
仮面を選択した以上、最後まで被り続ける責任があるようです。