今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

管理とは

f:id:FairWinder:20150306214831j:plain
(写真:オレンジトレイン 近鉄

「管理手段とは行動に焦点を合わせなければならない」(P.F.ドラッカー

しばらく、ドラッカーが続きます。どうかご容赦を 。

管理とは、英語で言えば「マネジメント」。
管理する人はマネージャー。

ある日、管理職の辞令を受け取りました。
「課のマネジメントをしなさい」

さて「管理職って何をする人???」
不幸にして昔努めていた会社には、お手本になる管理職がいませんでした。ソフトウェアハウスというのは、基本職人集団で、それでも誰かがまとめなくてはならないので、ところてん式に管理職になります。

そんな状態ですから、毎日の技術職に管理職がくっついたくらいの感覚です。ということは、まず自分が頑張らなくては仕事が回らないような体制を引いてしまいます。
「すいません、ちょっと聞きたいんですけど」
そのたびに思考が中断され、自分の仕事が遅れていきます。
自分の仕事中心に組み立てているものだから、非常に組織全体の動きが悪くなります。
たまに、休みの日に出社すると、指示をしたり質問を受ける相手がいないものだから、のびのびと仕事をすることができました。
こんなところに至福の時間を感じているようでは「駄目ですね~」。

今思えば、昔からドラッカーに親しんで、しかも理解するおつむがあれば、とつくづく思います。
「管理手段とは行動に焦点を合わせなければならない」は、まさにこの問題を言い表しています。

管理職が、管理をするための具体的行動、それが管理手段。それは「メンバーの行動に焦点を合わせるんだよ」と教えています。
では、私は何に焦点を合わせていたか?
おそらく「結果」「精度」です。

「うちには良いメンバーがいないのです」
「おいおい、それは違うだろう」
そういって随分たしなめられました。
「確かに、君はメンバーのやってくる仕事に不満を持っているかも知れんが、それは『君が』精度の高い仕事をさせないようにしているんだよ。」
ぽっかーん、です。
「いや、自分はちゃんと技量も高め、お手本になるように結果も出していいます。」
「それは、君個人のことであって、管理者とはメンバーの行動に責任を持つものだろう。たとえ、君自身が技術に疎いへなちょこでも、メンバーが結果を出せば、それは管理職として仕事をしたことになる。つまり、自分のことを置いておいても、メンバーがただしく行動するように仕向けることが正しい仕事なのだ。
自分があって、それからメンバーがあるのでない。メンバーがまずあって、それから自分があるようにしなければ。」
と、そんなレベルの高いことを言われても理解はできなかったですが。

「結果」「精度」は、あくまで「行動」の産物です。
「行動」なくして「結果」はないですね。
その「行動」をきちんとマネジメントするのが管理職です。そんな簡単なことも分かっていないとは恥ずかしい限りです。
ただし、向き不向きはあると思います。
自分の文脈でしかしゃべれない私には、正直しんどいかも知れません。

でも、好むと好まざると人と仕事する機会は避けられません。
上下関係や、横の関係であっても、人と働くときは、心にとめておきたいドラッカーの言葉です。