今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

街頭募金の意味

(写真:明治の遺物たち)
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このようなことを書くと、公益心がなかったり、社会性がない人間と思われるかも知れませんが、いちど真面目に街頭募金の意味を考えてみたいと思います。

災害が続くと駅のような公共の場所で街頭募金が呼びかけられます。
私は、ユニセフのマンスリープログラムには参加していますが、街頭での募金はあまり参加しない方です。
もっとも高校生のような子供たちが頑張っていると、思わず応援したくなって少額ながらさせてもらうことはあります。

しかし、意地の悪い大人の目で見れば、街頭募金自身は非常に経済効率の悪い行為です。

「1日立っていて、5千円になるかならないかだろう?1日アルバイトして、そのお金をそのまま寄付した方が効率いいじゃん」

という意地の悪い意見もあります。

「どこの団体がやっているからわからないから心配で」

という意見も多く聞きます。

人間は社会的動物ですから、みんな社会貢献をしたいと思っています。しかし、手軽に貢献できる機会があるのに、それをつい尻込みするのは何故でしょうか?

それは、費用対効果が見え辛いからかも知れません。
例えば、街頭で100円募金するのを迷っているのに、コンビニで108円のコーヒーを買うのに躊躇しますか?
それは、コーヒーを飲んで気持ち良くなっている自分、つまりは、かけた費用に対する効果がわかり易く想像できるからです。
それに対して、街頭募金は、そのお金が具体的にどこの誰のために役立っているか見えませんし、ましてや、募金を呼びかけている人達に不安を感じていたら、なおのこと参加しづらいでしょう。

しかし、考えてみれば、コーヒーを頼んだらその場限りで終わりです。尾籠な話をすれば、おしっこになって出て終わりです。
募金は、少額でも出した分は必ず誰かの役に立ち、善が循環します。

古来「三田」と言います。
募金等、親切を施す時は「三通りの田んぼ」に対して行いなさい、と言われます。
「田んぼ」とは、親切を施す相手のことをいいます。種をまいた時、田んぼに種をとられたと悔しがるお百姓さんはいません。それは、田んぼにまいた種がやがて芽を出し、稲となり、秋には大きな収穫をもたらしてくれるからです。
同じように、相手にした親切は、そこから大きな善の循環を生み、最後は自分に返ってきます。

では、3種類の田んぼとはどういうことでしょうか。それは親切をする相手を選びなさいということです。
親切は、相手を間違えれば、かえって害になることがあります。そのため、敬田(敬うべき人)、恩田(恩を受けた人)、悲田(悲しむべき人)を選んで施しをしなさいと言われます。

ですから、私たちが募金を呼びかける人たちのことを信頼に足るかどうか、知りたくなるのは当然です。ちなみに、聞くところによれば、街頭募金は事前に警察の許可が必要で、その意味では身元のしっかり人たちだと言えましょう。
それでも心配ならば、日本赤十字社のバッチや腕章をした人たちに募金をすれば良いと思います。
もっとも、私の場合はユニセフで頑張りたいと思います。そこは人それぞれ、自分の気持ちにかなった募金をすれば良いのではないでしょうか。

最後に街頭での募金活動の費用対効果についてですが、確かに定量的な計測では見合うものではないでしょう。しかし、募金を呼びかける人たちの公益心の高まりと、それを縁として私たちの社会参加への意識が高まれば、それ以上の効果があると思います。