今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

義と不義の事情

(写真:河上の駅)
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有名な『風と共に去りぬ』は、文庫本にして5冊くらいの大部な小説です。
内容は、主人公のスカーレット・オハラの恋多き波乱の人生を描いたものです。舞台は、南北戦争時代のアメリカの南部、スカーレットは貴族階級の娘でした。

南北戦争は、ご存知の通りアメリカが南部と北部に分かれての内戦です。
当時の南部は黒人奴隷を労働力として、綿花栽培を主にしたプランテーション経済で成り立っていました。それに対して、急速な工業化が進展していた北部は、流動的な労働力を必要としたため、奴隷制と相いれませんでした。そのため、奴隷制を認めない北部と、奴隷制を維持したい南部との対立が激化していきます。
やがて、奴隷制の拡大に反対していたリンカーンが大統領に就任することにより、南部はますます動揺します。そして、南軍が連邦のサムター要塞を砲撃して戦端が開かれました。

私たちは、リンカーンの自伝や、西部劇で、当時の北軍は哀れな奴隷を解放した正義の味方、対する南軍は、奴隷に惨い扱いをする悪者というイメージを植え付けられています。
ところが、『風と共に去りぬ』は、南部の貴族の目線で描かれているので、北軍は黒人を解放したのではなく、農園から追い出して路頭に迷わせた無法者という描き方がされています。
『風と共に去りぬ』によれば、南部の貴族は綿花栽培で多くの収入を得て、それにより余裕のある生活を送ることができました。その中で黒人奴隷とは主従の親愛の情を育んでいたと言います。
しかし、南北戦争で黒人が解放されることにより、一部は暴徒化し、年とった黒人は、主人を失って路頭に迷いました。単純に、北軍は正義の味方と語れない暗部が描かれています。

『風と共に去りぬ』を読んでいる時は、南部の貴族に同情し、北軍の無法を憎く思いました。リンカーンの自伝を読んでいる時とは反対の感情です。
今、解散総選挙を前にして、自民党政権よりも民主党の方が経済の成長率が良かった報道されています。見方によっては民主党もよくやっていたということでしょうか。与党の頃は、みんな最低最悪の政党のように言っていましたが。
対して、消費増税で景気が冷え込み、円安が進んで消費財が高騰すると、今度は安倍政権がやり玉です。
少し前まで、あれほど持ち上げていたはずがどう言うことでしょうか。

昔から、「皆にて褒むる人もなし、皆にて謗る人もなし」と言われます。
どんな偉い人でも、中には悪く言う人がいます。どんな悪い人でも、中には好きだ、尊敬していると言う人がいます。
お釈迦様でも命を狙う提婆達多が現れたのです。石川五右衛門でも、泥棒の総元締めとして尊敬する人があるかも知れません。
それは、人間の都合でころころ変わるのです。
ですから、一部だけ見て判断したり、人の言うことに踊らされたり、また自分の都合に振り回されたりすることのないように、何事もよく目を開けて評価をしなければなりませんね。