今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人は見た目が10割?

(写真:地元 3選 豊田、安城、みよし)
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『人は見た目が10割』

そんな挑戦的なタイトルの本を書いた人がいます。

対して、日本人は
「人を見た目で判断してはいけない」
を美徳としています。

水前寺清子の歌
『ボロは着てても心は錦 どんな花よりきれいだぜ』

身なりは貧しくボロだけれど、心が正しく真っ直ぐならば、錦を着ているより美しい。そんな歌詞に多くの日本人が共感しました。

でも、一つ問題があります。

「ボロは着てても心は錦」の代表選手がシンデレラです。
貧しい下働きのシンデレラは、ボロは着てても心はきれいな娘でした。そして、最後は王子と結婚して幸せになります。
しかし、シンデレラは着ているものこそボロですが、容姿が可愛いかったのです。だから、正装したシンデレラを見た王子がポーッとなって、わざわざ城から探しにきました。
もし、シンデレラが彼女の3人の姉よりも不器量だったら、ストーリーの結末はまったく違ったでしょう。

あるいは、「美女と野獣」のベルは意を決して死にかけた野獣のもとに駆けつけました。それで呪いが解けて、野獣はイケメン王子に変じています。かくて、大団円となりますが、何故王子なのでしょう。野獣のままではいけないのでしょうか。

そう、考えると、やっぱり『見た目が10割やんか』と腹立たしくなりますね。

どうやら、私たちは見た目と内面を同一視するようです。
例えば、吉永小百合さんは、内面も見た目どおりの優しい女性としか思えません。
でも、本当の吉永さんを私たち知らないのです。性格は良くても、現場ではもの凄く厳しい人かも知れません。目に角を立てて若手女優を叱り飛ばす吉永さんは、とても想像できませんけど。

やはり、
美人は、性格も美人。
イケメンは、性格はイケメン。
関係性はないのに、いつの間にかそれを信じ込んでいます。
だから、お伽話の主人公は、美男と美女でなくてはなりません。
「ボロは着てても」とは歌いながら、やはり『見た目10割』は心の底にあります。

とは言え、見た目と内面はまったく無関係でもないようです。

それは、顔立ちは整っていても、とても綺麗とは思えない人がいます。
それは、愚痴っぼかったり、怒りっぽかったり、欲が深かったりで、それが表情に表れるからでしょう。
反面、「可愛いな」とトキメク相手は必ずしも美人とは限りません。
それは、にこやかだったり、気遣いができたり、頑張り屋だったりする内面的な美しさが、外見も素敵に見せるからです。

また「可愛いい」と言われ続けた子は、頑張って内面も可愛く保とうとするかも知れません。「カッコイイ」と言われる人なら、中身も男前でありたいと思います。
いわば、外面からの内面への影響です。

このように外面と内面は相関関係にあります。
私たちも、たまには鏡を見て、どんな内面が顔に表れているかチェックすべきなのでしょうね。「男は顔に責任を持て」と言われる通りです。