今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

もし、患者が自分自身だったらどうしますか?

(写真:ビルの谷間から見た青空)
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医療専門学校のコマーシャル。

救急隊員が急病人を担架に乗せて搬送しようとしています。
そして、患者の顔が画面に映し出されたと同時に、救急隊員は衝撃を受けます。
なんと患者は、救急隊員自身だったのです。
そこでナレーション

『もし、患者が自分自身だったらどうしますか?』

他人の身を、自分自身の身に置き換えた時に、見え方、感じ方が180度変わってしまうことを表していて、興味深いコマーシャルです。

よく医療系のドラマでは、新任の看護師が、担当した患者さんが亡くなるたびに悲しんでいます。それを見て、先輩の看護師がアドバイスしています。

「あなた、感情移入のし過ぎなのよ。患者さんが亡くなるたびに、そんなにクヨクヨメソメソしたら身が持たないわよ。それより、他の患者さんに集中しなさい。」

少ない人数で大勢の入院患者のお世話をする以上、ある程度効率も大切です。
つまり「その他大勢」の一人として対応しなければ、全員に看護を行き渡らせることは不可能です。ときには、背に腹は変えられないと、悲しいけれど拘束をしなければならないケースもでてきます。

しかし、対応する側には、大勢の中の一人でも、患者さん本人にとって、まさに苦しんでいるのは自分であり、自分の身体は決して取り返しがつきません。
肉親を亡くした時もそうでした。
末期だったり、高齢だったりすると、いかに近しい肉親でも、果たしてこれ以上高額な医療費を払って延命させるべきか悩みます。それよりは、自然に逝かせるべきではないか、と。
身勝手ではありますが、私は心の拠り所を、父がいなくても母、母がいなくても妻、妻がいなくても子供と、次から次と変えるだけで済みます。
しかし、亡くなる本人にとっては自分自身のことです。もし、自分がその身だったら、わずかな可能性がある限り必死で命にしがみつこうとするでしょう。かなうなら、いくらお金を使ってでも助かりたいと思います。

また、阪神や東日本の被災者に対して、わずかばかりの義援金をだして「十分させて貰った」と反り身になって、また、少しマスコミが騒がなくなると都合よく頭の隅から消そうとします。
しかし、あの惨事はついお隣の場所で起きています。「明日は我が身」は、ただの常套句ではありません。
果たして、自分が被災者の立場になった時、この程度の支援や関心度合いで納得できるだろうか、と考えてしまいます。同じ国民として、昨日まで隣り近所のようにお付き合いしていたのに、あまりに冷たいのでないか、と。

人間は本質的に他人の利害には鈍感な割に、自分に痛みが発生すると飛び上がって騒ぎ立てる生き物です。
「何故あの人は怒ったのかな」と鈍感な人間になったり、反対に「どうして、あの人は自分にあんなにひどいのだろう」と被害者意識の強い人間になるのも、ひとえにこの人間の本質に根ざしています。
時に、自分の身に置き換え、その人の痛みを想像し、時に人の目線に立って過剰な自意識を正さなければならないと思います。