今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

布施について

(写真:嵐直前の街)
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布施とは、仏教の言葉です。
今日では、「親切」という意味になります。

「布施」とは、一言で言えば、自分のすることで自分以外の誰かを喜ばせることです。

例えば、どんなことがあるでしょうか。

・東日本大震災のような大災害で被害に遇われた方に義援金を送る
・ボランティアとして被災地に出向き、支援を行う
・赤十字やユニセフを通して募金を送る
・電車でお年寄りに席を譲る
・落ちこんでいる友達をディナーに誘い励ます
・会社で周囲に笑顔をふりまく

これら、全て布施であり、親切です。

しかし、布施というと、ビル・ゲイツや、その他多くのセレブがすれば良いと言う人がいます。
正直私も、「国に充分収めているのだから、後は国の仕事だろう」という思いがありました。
ところが、ある時、アフリカの飢餓に苦しむ子供がテレビに映され、私達がほんの小遣い銭と思っているお金で多くの子供が生き延びることができると知りました。
例えば、自分が1本のジュースを我慢しても死にはしませんが、そのお金で死なずに済む子供がいるのです。そのことに気がついたときに、すぐに僅かばかりですが志を寄せずにおれませんでした。

豊かな日本にいると、周りが同じような服を着て、同じような家に住んで、同じようなものを食べているので、自分たちがいかに恵まれているかを分からずにいます。
しかし、世界には自分たちが少し我慢をすれば助かる多くの命があるのです。
もちろん援助をしても、その国の政治が腐っていて、中抜きをした権力者だけが肥え太るということはあります。でも、それで諦めてしまっては、布施を惜しむ自分も含めて誰も助かりません。

とは言え、彼ら過酷な状況に苦しむ人達も含め、本当に厳しい人は、お金やものの布施は難しいと思います。
でも、蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える。
それらの人は布施ができないから、永遠に善果が巡ってこないのか?それでは、あまりに残念です。

そこで、雑宝蔵経という経典に「無財の七施」が教えられています。
お金やものを持たない人間でも、身体さえあればできる七通りの布施ということです。

一.眼施

ゴルゴ13のように、鋭く冷たい眼の人の前はいたたまれなくなります。一緒に食事をしていても美味しくありません。
対して優しい眼差しの人に接すると、こちらも癒されますね。

二.和顔悦色施

満面の微笑に接すると、こちらも浮き浮きします。
特に、会社で上に立つ立場の人がニコニコしてくれていると、仕事もぐんとはかどります。
もちろん、社長がニコニコできるように、僕らは頑張らねばなりません。
 
三.言辞施

「おい、頑張っているな」「いつもありがとう」「お仕事ご苦労様です」
そんな一言で「よし、もっとヤルゾ」と元気になります。
ねぎらいの言葉は生活の潤滑剤です。

四.身施

身体を使って、人や社会のために働くことです。
若い人、元気の人は誰でも身体という財産を持っています。
両親や、奥さんのためにマメに身体を動かせば、きっとダイエットにもなります。
(・・・とありたいのですが)

五.心施

心から感謝の言葉を述べることです。
「本当によい仕事をしていただき有難うございました」
私たち職業人にとって、そう言ってもらえることが一番のご褒美だと思います。

六.牀座施

場所や席を譲り合うことです。
お年寄りに電車で席を譲ることはもちろん、キャリアを積んだら、後輩にも活躍の場を譲らねばならないですね。
 
七.房舎施

訪ねてきた人に一宿一飯の施しをおこない、その労をねぎらうということです。
とは言え、誰彼なく泊めることはできませんし、人を泊める余裕のない家もあります。
せめて、ねぎらいの言葉は忘れないようにしたいと思います。

以上が、身体さえあればできる七つの布施です。

そして、お気づきのように、このような布施を心がける人は、愛され、親しまれ、人に囲まれます。お金や財産はなくても幸せな生涯を送ることができます。
布施は、与えられた人も幸せになりますが、与えた人はもっと幸せになります。

ちなみに、うちの子供の名前は「七施(ななせ)」です。
この七つの布施を心がけ、幸せな人生を送って欲しいという願いを込めています。