今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

身を捨ててこそ

(写真:初春、雪の朝)
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年が改まりました。
本年も何卒よろしくお願いします。

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これは本で読んだ話です。

1人の武士が、高名な剣術の師範を訪ねて、教えを請いました。

「実はつまらぬことでいさかいとなり、真剣での果たし合いを求められました。武士の面目を思えばまさか断る訳に参らず、とは言え相手は市中に聞こえたる剣術の名手。立会っても万に一つに勝てるはずもなく、無様に斬り殺されるよりは、立会いの場にて見事に切腹して果てたいのでござる。
ついては、果たし合いの場にても面目の立つ切腹の作法をご教授願えまいか。」

剣の師範は、それを黙って聞いていましたが、

「貴殿は、もう死ぬことを覚悟しているのでござろう?ならば、死を覚悟したものにしか使えぬ必殺の剣を教えて進ぜよう。
よいかな。
立会いに臨んだら、まず刀を上段に構え、目を閉じるのじゃ。あとは、じっと相手の剣気を待つ。そうして、相手の剣気を感じたら迷わず剣を振り下ろすのじゃ。
さすれば自分も斬られようが、相手も必ずや真っ二つになるであろう。」

指南を受けた件の武士はその足で果たし合いの場に趣きました。そして相手と対峙するや、教えられた通り刀を上段に構えて目を閉じ、じっと剣気が襲うのを待ちました。

しかし、待てど暮らせど相手が打ち込んでくる気配がありません。
やがて、

「まっ、参った!」

の声に驚いて目を開けて見ると、相手は剣を投げ出してその場に平伏しているではありませんか。

「貴殿の構え、寸分の打ち込む隙もござらぬ。とても、拙者の及ぶところではありません。拙者の負けでござる。」

この武士は、ハナから命を捨てていたので、数段も格上の相手に遅れを取らなかったのです。

〜・〜

人間が大事をなしとげる時には、時に何かを捨てる選択を迫られます。
たとえば、主力事業であっても、それが成長の足かせにもなるのなら売却を選択する企業があります。例えば、PC事業をレノボに売却したIBMは好例でしょう。

しかし意外に私たちは、自分にとっての大事を何かは知りません。あいまいに日を過ごしながら、少しづつ良くなることを期待するのが人間の性のようです。
例えば自分の属している組織が長期的に大きな変革をしなければ未来は暗いと分かっていても、一週一週を送るのに気を紛らわして週末の到来を心待ちにしている心はないでしょうか。
茹でガエルの譬えよろしく、だんだんと衰退していく不都合な真実から目をそらしているところはないでしょうか。
それはビジネスにとどまらず、今の社会保障や災害からの復興、エネルギー問題、さらに私たち人生にも通じることです。

必要なのは果敢なる選択と、断固たる実行。
進むべきビジョンが明確になったら、今ある既得権益の何かをあきらめても、断固実行しなければならない時があります。
諦めるべきものは安定かも知れませんし、安寧な生活かも知れません。
しかし、それにしがみついて、だんだんと衰退と破滅へと向かうより、断固たる選択と決断で未来を開きたいと思います。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」

私の年頭に「今日学んだこと」です。