今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

ビジョンは成功した後に加えられる

(写真:秋のたそがれ その1)
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自分では一生懸命考えてやっているつもりなのに、どうしても思うような結果が出ない。
そして、挙句に「こんなにやっているのに結果が出なくてさ」と苦労自慢ばかりが多い。

「何やっているの?」
「こうすれば?」

他人のことがよく見える周りは、どうしても口が出ます。
だけど、分かったようなことを言われると、せっかくの相手の親切なのに無性に腹がたつ。

しかし、人の話を素直に聞く殊勝な心はない自分は、意地になってビジネス書や、セミナー漁りをします。
ビジネス書も、セミナーも大切なポイントを分かりやすく、印象に残る言葉で教えるので、なんだか分かった気になって偉そうにしゃべり始めます。完全にイタイ人です。
たまに、それを感心して聞く人がいると、ますますいい気になって成功法則のリスト集めに一生懸命です。
しかし、それを続けて何か変わるかと言えば、ただ気持ちが大きくなって頭でっかちになっただけのこと。

そんな時、大手企業の技術者の話を聞く機会がありました。
その人が現場で苦労して積み重ねた実体験は重みが違います。そして、自分は何をやっているのだろうと思いました。
人の成功体験をいくら聞いても、自分とその人は違います。あくもでも、成功も、その法則もその人、その人が苦労に苦労をして掴み取ったものです。
なのに、いま目に見えている結果だけを見て、うまいやり方だけをつまみ食いをしようとしているのです。
これでは、何も身に付かないはずです。

『ビジョン』と聴くと、

「先見性を持ってロードマップを描き、その通り実践して成功にいたる」

そんなイメージがあります。
ですから寄ると触ると、

「ビジョンは明確ですか?」
「ビジョンを持ちましょう」

と言いあっています。

しかし、『ビジョン』が最初から見えている人があるのでしょうか。
もちろん、方向性、情熱、憧れ、理想はあります。しかし、それは取り敢えずスタートするための原動力です。そうして、苦労して試行錯誤を繰り返して、始めてうっすらと見えてくるものが『ビジョン』ではないでしょうか。

つまり、身体にかけた実践を経て、始めて上手くいくのです。そして、それまで失敗して学習したプロセスがあったからこそ、成功がもたらされるので、決して無駄な努力などはありません。
なのにそれまでにした失敗が語られずに、『ビジョン』があったと後付けで簡単に賞賛されているのです。

ならば、安易に人の成功談を鵜呑みにせず、実践を通じて自分なりの解釈に落とし込まねばなりません。
時間がかかって叱られることも、やり方が間違っていて失敗することも全て折り込み済み。
率先して泥水をすすり、恥をかいて自分なりの『ビジョン』にたどり着くのです。
自分の人生ですから、人の言葉で語って良いものではありません。