今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

自分の願い通りに人を成功させる

(写真:ちぎれ雲 その1)

アフターユー

アフター・ユー。
あなたの後からついて行く。
夫唱婦随の夫婦道じゃない。
敢えて自分以外の人に先を歩いて貰うこと。今まで自分が先頭を歩かせて貰ったから、今度は人に譲って先に行って貰う。
いつまでも、ロートルが頑張っていては申し訳がない。それでは集団から多様性や活力が失われてしまう。だから自分が歩かせて貰った道を、今度は人に譲って歩いて貰う。
自分だけの集まりじゃない。皆んなで譲り合って、幸せや喜びを共有する。

自己実現

誰しも、先頭を歩きたいと思う。
なぜなら、先頭はたいへんだけれど、自分の思いのままになる。
しかし人から譲って貰いながら、「やってやっている」感や「自分だけが苦労している」感で、ついつい人に対してぞんざいな態度を取ったり、愚痴をこぼしたりしていた。
本当は、「やらされていた」ではなく、「やらせて貰っていた」である。
ぞんざいな態度を取った時も、本当は周りが許してくれていた。

「しょうがないな、不慣れだもんな。やり易いように少々大目に見よう」

自分の思う通りにできれば、「自己実現できた」と嬉しくなるが、未熟な自分の至らなさを皆んなが許してくれたから、のびのびと生きて来られた。

自分の願い通りに人を成功させる

今度は人を許し、代わりに思い切り活躍して貰う。
先頭を走る人は反り身になって、周りや自分にぞんざいな態度をとるかも知れない。

「何を、この青二才が!何も分かっていないクセしやがって!」

思わず口をついて出そうになるが、それをグッと飲み込む。
それは、許されていた頃の自分の姿だから。
おそらくもっと生意気で酷いことを口にしていただろう。
それを都度咎められなかったから、クシャッと潰れずに済んで、今ここに居させて貰えている。
だから、今度は自分が許す。
そして、成功をして貰う。
もちろん、今でも良い目を見たいし、注目もして貰いたい。
成功体験をしてみたい。
でも、それは十分過去に味あわせて貰った。
今度は、自分が願う通りに人に成功して貰う番なのだ。

恵み恵まれる

相身互い。
成功を譲り合う。
幸せや喜びを共有する。
幸せを独り占めして、みんながつまらない思いをしていたら、幸せの量は限られる。
幸せを分け合って、皆んなで喜び合えば幸せは何倍にも増幅される。
恵むから、恵まれる。
与えるから、与えられる。
好きになるから、好かれる。
助けるから、助けられる。
統計にも明らかである。
独り占めした幸福感より、分かち合った幸せの方が満足感は高い。
だから、先頭のポジションを譲っていく。
そして、自分が成功するのでなく、自分が願った通り人を成功させる。
それがミッションであり、自分の役目と思えば、僻みも妬みもなく、素直に人を応援できると思う。

事業とは大きなパーツで作るプラモデル

(写真:キャタピラー)

事業、事業とおそるるなかれ

「これからはビジネスを、事業として考えなくてはならない。」

今はそう言う時代なんですね。
昔のサザエさんに出てきたように、会社から割り振られた仕事を粛々とこなして、時間が来たら一杯ひっかけて帰る、もはやそんなノンビリした時代ではありません。
大まかにはコアにしている事業があって、それを食い扶持にして会社は存続します。
しかし、事業の賞味期限がどんどん短くなっている現今、コアのビジネスだけでは先行きが保証されないのです。
例えば、オンラインゲームの会社が、B2Bのビジネスを手がけようとしています。
オンラインゲームは、当たれば大きいのですが、それまでの投資が尋常ではなく、例え一時的に多くのユーザーを確保できても、ある時急に引き潮の如く誰もいなくなります。
そんなジリジリとする「焼けたトタン屋根の上の猫」状態から脱却したいと、ユーザーが安定しているB2Bビジネスに参入しようと言うのもよく分かります。
そして答えの見えづらい中、経営者だけでなく、社員一人一人が事業創出への関与を求められています。
しかし、「事業」と聞くと雲の上の話に思えるのも事実です。

プラモデルなら誰でも作った

「事業」と聞くと、かなり大仰に思えて、思考停止に陥りそうです。
しかし、パーツを集めて組み上げる本質は変わりません。
例えば、私たち世代はプラモデル作りが子供時代の大きな楽しみでした。
ダンボールのケースに鮮やかにプリントされた戦闘機や戦車のリアルなイラスト。
その箱を開けて顔を見せる、プラスチックの枠にまとめられたパーツや、ビニールの小袋に納められた様々な部品。まさに、子供には光明さす瞬間だったでしょう。
枠からパーツを切り離して強いシンナーの匂いのする接着剤を塗ると、幸せな気分に満たされたものです。
今思えば、プラモデル作りはなかなか高尚な趣味で、枠からの切り離し一つ取っても、神経を使わなければ大切なパーツが破損してしまいます。
そして、きれいにバリ取りをして、多過ぎずまた少な過ぎないように接着剤を塗り、設計図通り組み立てて行きます。さらに、慣れた人はきれいに色ぬりをして、完成品のリアル感を演出したりします。
そんな高度な作業をほとんどの子供がこなしていました。そして、大人になった今は「事業」と言う大きなプラモデルを作っていると考えたらどうでしょうか。

パーツの大きさの違いだけ

「事業」と言う大きなプラモデルには、いろいろなパーツがあります。
一般に言われるのは、「ヒト」「モノ」「カネ」、それに「情報」。
もっと詳細化すれば、資金、技術、人員、施設、体制、特許や免許、そして製品、市場の要素となります。それらを組み合わせて、利潤を生むための最適な構造を作ります。

「いや、それは経営者や、幹部社員のすることだろ?我々一般社員は、会社が決めた事業の中で役割を貰って、粛々と仕事をこなせばいいんだろ?」

確かに「事業」と聞けば、我々はそんな気持ちになります。
しかし、顧客の要求が多様化した今、何が求められているかを知るには、現場の我々のセンサーが大切です。だから、経営者が「事業」を考えるにも、我々が積極的に関わる必要があるのです。
そして、時に我々にも「事業を考えてみよ」と振られます。

「え?自分がですか?」

「そうだよ。できるだろ?」

「ちょっと、そんな大それたことは。」

「違うよ。スケールが違うだけで本質は変わらないんだ。」

大胆に繊細に

「事業」は、大きなパーツでプラモデルを組み立てると考えれば良いのかも知れません。
しかし、そこには結果責任が問われます。
お金を使えば、それはもう戻りません。
「事業」は、「投資→回収」「投資→回収」の繰り返しと言われます。
「投資」をして「回収」をできれば、それは成功した事業です。しかし「投資」に対する「回収」が出来なければ、それは赤字事業で、せっかくの資金を垂れ流すことになります。
そんな責任は負えないので、「事業」のように責任が発生する場面からは敢えて距離を置きたいと思いますが、実のところ「投資」を決断をして、責任を負うのは経営者です。
だから、我々は最終責任のないところで、思い切り大きなパーツのプラモデル作りを楽しめば良いのかも知れません。
経営者に対する提案は大胆に。
間違えていたらダメ出しされるだけですし、もし通っても通した責任は経営者が負ってくれます。
本来怖いものはありません。
ですから、どのような形にせよ、「事業」への参画を求められることは有難いことです。
ただ、「事業」を進めるに当たり必要なのは、大胆な発想と同時に繊細なオペレーションです。
それがないと中々先に進ませて貰えないので、ダメ出しを受けながら一生懸命練習を積み重ねています。

嫌いな訳は自分の都合、だから理由がいる

(写真:しじみちょう)

嫌いは誰の都合?

人間には、合う人、合わない人があり、どうしても好き嫌いができます。
皆んなが好きと言っても、どうも自分は苦手と言う人はありますし、皆んながちょっとと言う人も、自分とは妙にウマが合うことがあります。
そもそも好き嫌いは理屈ではありません。
男女にしても、皆んなが皆んなイケメンや美女に群がったら、結婚できる男女はごくごく限られるでしょう。そうなっていないのは、「面々の楊貴妃」で人それぞれで好みがうまく分散されているからです。
しかし、個人的な都合で好いたり、嫌ったりしている面も否定はできません。

自分の都合に振り回される

「今日褒めて、明日悪く言う人の口、泣くも笑うもウソの世の中」と言われます。
世の中の報道でも、業績が良かったり、人気があったり、力がある時は、口を極めて褒めそやします。言われている方が恥ずかしくならないのかと思える程です。
それが少し調子を落とすと、まさにボロクソで、とても同じ口で言っているとは思えません。
力のあるうちは、褒めておけばおこぼれにあずかれると思うから擦り寄ろうとします。しかし、評価を落とせば、側にいて巻き込まれたら自分までツマランものに思われはしないかと離れよう離れようとします。
つまり、誰しも自分の都合基準で、相手の真価や偉さを評価をしてのことではないのです。
ですから、「人の言うことはあまり気にしても仕方ないですよ。所詮は、自分の都合に振り回されている人ばかりですから、相手の評価と自分の価値は関係ないですよ」と言われるのです。

嫌いな訳

そう考えると、自分の好き嫌いの基準などまことにいい加減で、例えば、ちょっと嫌なことを言われたからとか、逆に良い目を見せて貰ったからとか、簡単な理由でコロコロ変わっています。
だから、少し人に対する不満を漏らそうものなら、「ちょっと、それ見方が偏っていない」とすぐローカルな炎上が始まります。
それはそうです。
自分の都合で嫌っているだけだから、人から見たら理解できませんし、それを口にする自分は「情けない、自分勝手なヤツ」に映るのでしょう。
しかも、つまらない理由で相手を嫌っている自分を正当化するのに、一生懸命理由を探しています。
それこそ、顔が嫌いとか、声が嫌いとか、言い方が嫌いとか、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に、嫌う理由を探して勝手に強化していくのです。

嫌っている時間を活かす

しかし、「嫌い、嫌い」「憎い、憎い」と自分の中で反芻して、結果自分の心をすさませているのは、結構なエネルギーの消耗です。
しかも、人に言えない情けない理由(一度自分の至らないところを指摘されたとか)で相手を嫌っていたりすると、その嫌いの理由を自分自身がそのまま受け入れることができないので、正当化のためにいろいろと理由を探さなくてはなりません。
それやこれやでたいへんな時間とエネルギーを消耗しているとしたら、とんでもない無駄ですよね。
そもそも嫌いなのは、自分が相手に負い目を感じているからで、相手を否定して貶めれば、それだけ自分が浮いた気分になります。
つまりは、自分の優越感を保ちたい心が根底にあります。
しかし、いくら相手を心で貶めても、もちらんそれで相手がダメになるわけでも、自分が偉くなれるわけでもありません。
むしろ、そんなことに時間を使っている間に不断に努力し続けている相手との差はますます開いてしまいます。
こんな負のスパイラルから抜け出す方法はただ一つ、自分の心に負けないように相手の姿を正しく見て、素晴らしいところがあればむしろ親近することです。
自分自身の心に逆らうのは簡単ではありませんが、幸せで豊かに生きるために向上することですから、なんとしても頑張りたいものです。

着陸地点を意識した生き方

(写真:夕闇)

人生航路

人生を飛行機に喩えた人がいます。
私たちが人生を始めた時が、飛行機で空港を飛び立ったことに当たります。
私なら、50年前に空港を飛び立ちました。
そこから機首を上に向け、上空へと高度を上げていきます。旅客機ならば、シートベルトサインが点いている間ですね。
やがて、機首を水平に保ち、巡航速度に移ります。人生ならば、成長期を過ぎ、成人として社会人を始めることに当たります。
そして、いろんな人生の荒波に揉まれる航路の始まりでもあるのです。
この間、敵機との交戦や、乱気流との遭遇、そしてエンジントラブルに見舞われるかも知れません。不運にして途中で墜落する飛行機もあるでしょう。
それら、一切の苦難困難、山あり谷ありを乗り越えて、人生航路を無事に続けた飛行機にも、やがて航路の終わりが待っています。

人生に軟着陸はあるか

それは、どう言うことかと言えば、どんな飛行機も永遠には飛ぶことはできないからです。つまり、燃料には限りがあります。
同じように人間には寿命があり、事故死、病死、老衰、犯罪に巻き込まれての非業の死等、理由はいろいろですが、人生航路の幕引きは悲しいけれど必ず訪れるのです。
さてその時に、私たちはどうしますか?
飛行機ならば、無事に目的地に到着できれば、安全な空港に軟着陸をすることができます。
では、人生の軟着陸とは何でしょうか?
功成り名を遂げることですか?
後世に残る事業をすることですか?
自分の意思を継いでくれる立派な跡継ぎを育てることですか?
あるいは、多額の財産を子供たちに残すことですか?
多くの家族に見送られて逝くことですか?
高価な墓石で、立派な墓を建てることですか?

人生の記録と終幕

どれも、そうだと言えますし、そうでないとも言えます。
そうだと言えるとは、もし、これら一切が違うと否定されたら、私たちは何を信じてこれから生きたら良いか分からなくなります。
名誉も、地位も、家族も、財産も、そして墓石も、私たちに安心した終幕を保証してくれないのなら、私たちは何を求めて生きたら良いのでしょう。
しかし、そうでないと言うのは、例えばアップルを創業し、世界に多大な影響を与え、自身も大変な富豪であったスティーブ・ジョブズの最後を見れば分かります。
これら一切に恵まれながら、彼は「自分の成し遂げた偉業は所詮レコードに過ぎない」と死の床で振り返っています。
つまり、『レコード』とは、ジョブズがどう生き、どう頑張ったかのログです。それは死に行くジョブズに何ら喜びを与えるものではなかったのです。
それらは、いわば飛んでいる飛行機の中で起きたイベントであり、それでどんなに金銀財宝を積載しようが、墜落する飛行機を1ミリたりとも浮かす力はありません。

着陸地点を意識した生き方

そう考えると、私たちが日々努力して、飛行機の中を満たしている金銀財宝や、地位名誉、家族、友人より、まず考えなくてはならないのは、燃料がなくなった時に安全に着陸できる空港を確保することです。
それは一言で、「着陸地点を意識した生き方」と言えます。
もちろん、金銀財宝、地位名誉、家族を否定したら満足で快適な航路ができなくなるので、それら一切が大切であることは言を待ちません。
しかし、それだけでは人生を安心して生きるのは無理ですし、また本当に勇気を持って生きることもできません。
「人は何のために生きる?」
過去何度も人類が問い続けてきた、この問いはまさに人生の着陸地点を強く意識した時に、真剣な答えを求められます。
臨終のジョブズがそうだったように、今度は私たちが真剣に向き合わねばならない時が必ず来ます。
そして、それは今日かも明日かも知れないのです。

現場力

(写真:夏雲の電車 その2)

経営と現場

経営と現場、どちらが大切か?
すなわち、優秀な経営者は常に好成績を維持できるか?
経営方針がどっちを向いていても、現場さえしっかりしていれば、業績は安定するか?
しかし、世の中を見ていると、どちらか片方だけで上手くいっていることはないようです。
かつて、ヤクルトを躍進させた野村監督が請われて阪神の監督に就任した時、優秀なはずな監督のもと、三年間の就任期間中一度も最下位を脱することができませんでした。
その後、星野監督時代に躍進したことを考えれば、野村監督時代は基礎固めの時期だったかも知れません。
しかし、記録としては野村監督の野球人生の中では非常に不本意なレコードであったに違いありません。
そして、その後の野村監督の活躍を考えれば、決してその時点で氏の能力が衰えていたわけではなく、現場、つまり選手の意識やスキルとうまく噛み合っていなかったと言うべきでしょう。

いかに三成が優秀でも

これは、いかに指揮官が優秀でも、現場がそれに見合うだけの力がなければ結果が出ない一つの例です。
もう一例としては、関ヶ原の戦いでの石田三成が挙げられます。
石田三成がいかに優秀だったか、それを証明するエピソードには事欠きません。
三成は、朝鮮出兵の時、大軍団に兵站や軍船を手当てして九州の小倉から送り出しました。それを成し遂げた彼の事務能力は尋常ではないと言います。
秀吉が存命中は、常に三成を手元に置いて一切を取り仕切らせていました。そして、秀吉死後は五奉行の一人として豊臣政権を支えました。
しかし、豊臣政権をないがしろにする徳川家康と決裂。家康打倒のため、毛利輝元を盟主に決起し、関ヶ原で三成の西軍と家康の東軍がぶつかりました。
西軍の数は10万、対する東軍の数は7万5千。数から言っても、布陣から言っても西軍の石田三成が負けるはずはありませんでした。

現場なくして勝利なし

戦力は西軍が優っていながら、その実戦意を持って参加していたのは三分の一ほどに過ぎなかったと言われています。
そもそも秀吉亡き後の支配者には、実力者の徳川家康の方がふさわしく、立場はあっても大した所領も持たぬ三成に加担してもあまり旨味はないと大名たちは判断していました。加うるに、豊臣政権下で官僚として否応なく大名たちを従わせてきた石田三成に、人心をまとめる意識がなかったとも言います。
かくして、団結を欠いたまま戦闘に突入しました。そして、ここ一番の戦局で小早川秀秋の造反が起き、そこから一気に西軍は崩れ去ったのです。
いかに優秀な指揮官と言えど、現場を動かすことができなければ、数に勝る大群を抱えながら勝利は覚束ないのです。

現場力

「風雲龍虎」と言われます。
風は虎を走らせ、雲は龍を飛ばします。
どんなに強くたくましい虎も、良い風が吹かなければ走ることが出来ず、神通力を持った龍も雲に乗らなければ飛ぶことはできません。
どんなに優れた指揮官も、それを支える現場あってこそ力が発揮できますし、またいくら現場が優秀でも指揮官がまとめきれなければ力を削がれてしまいます。
つまり、「虎に対して風」、指揮官や経営者に対して優秀な現場、「龍に対して雲」、現場に対して優秀なリーダーがあってこそ、本来以上の力を発揮できることを教えた言葉です。
私のお付き合いのある伸びている会社の経営者の皆さんは、決まって『うちは有難いことにいいスタッフに恵まれてね』と言われます。
それは、良いスタッフに恵まれているから嬉しくて言われるのか、あるいはスタッフを大切にする社長のもとに人が集まるのかも知れません。
しかし、間違いなく経営者と現場がうまく噛み合っている会社です。
私たちは経営者ではなく現場の立場です。
まずは現場力を磨き、「こんなすごいスタッフなら俺が飛ばしてやらねば」と経営者に雲になって貰えるような現場になりたいと思います。

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#6

(写真:夏雲の電車 その1)

克服すべきもの

次の日の出社は、歌陽子(かよこ)にとって苦痛でならなかった。
ヘリを飛ばしたのは村方であったにしろ、社員には業務時間中にヘリコプターで乗り付け、屋上から飛び立ったお嬢様の身勝手な行動に見えただろう。
もちろん、村方から会社側にことわりを入れてあったので、公式な叱責はなかった。
しかし、そんなことを知らない社員たちは口に出して言わなくても、きっとこう思ったに違いない。

「なんだ、あいつは!自分が金持ちなのを見せつけやがって。」

「業務時間中にヘリで豪遊なんて、他の社員を舐めている。」

「会社は遊びにくるところじゃないわ!」

無言の圧力を感じながら、歌陽子は本館の玄関を抜け、裏手から開発部技術第5課のある別館へ早足で逃げ込んだ。

はあ、間違っていた。
ほとぼりが冷めるまでは、裏の公園側から出社しよう。

「おはようございます。」

「はっは、コーヒー係、おめえすっかり有名人だな。」

今度はいきなり野田平のからかいのシャワー。

「えっ・・・。」

「ばあか、ぐじぐじ悩むんじゃねえよ。サングラスとマスクで変装して出社すればいいんだよ。」

「じ、冗談言わないでください。そんなことしたら、『芸能人気分か』ってまた叩かれるじゃないですか。」

「あ、おめえ、気が立ってんなあ。そうか、あんまり眠れてないな?そう言えば、ひでえ顔だなぁ。目の下真っ黒じゃねえか。」

「あ、あんまりどころか、全然です。昨日の話を思い出したら、目が冴えちゃって。」

「はあん、おめえ、案外肝が小せえんだなあ。」

「じゃあ、そう言う野田平さんが同じ立場だったら平気でいられますか?」

「タリメーよ、誰にものを言ってるんだ!この会社は俺らが立ち上げたようなもんだぜ。それに比べりゃ、開発案件の一個や二個、屁でもねえよ。」

すっかり忘れていたけど、この人たち凄い人だったんだ。

「・・・ごめんなさい。生意気なこと言って。」

あまりに素直に謝られると野田平も調子が狂うらしく、少し口ごもった。

「い、いいってことよ。それに何だな。思い切りやったらいいぜ。どうせ失うもんなんかないだろ?また、お気楽なお嬢様に戻るだけなんだし。」

いいえ、失うものはあるわ。
お父様の信頼と、私だけの世界の二つよ。

「おい、野田平、やめねえか。嬢ちゃんなりに真剣なんだよ。なあ、嬢ちゃん、ちょっと、こっちへ来な。」

「はい。」

「まあ、座んなよ。」

「はい。」

前田町の呼びかけに歌陽子は、彼の前に腰を下ろした。

「あんた、今どんな気分だ?」

「どんな気分、ですか?一言で言えませんけど、とても高い鉄塔の上に一人で立たされている気分です。
不安なような、怖いような。
せっかくのチャンスなのは分かるんですけど、私こんな意気地なしだったのかって情けなくなります。」

「まあな、それは嬢ちゃんの良いところでもあり、悪いところでもあるんだが。」

「良いところ・・・?悪いところ・・・?」

「あのよ、嬢ちゃんのように生まれついた人間は、うめえもん散々食って、いい服を着て、高え車を乗り回しているうちに、だんだん人を人とも思わなくなるもんだ。いや、それが言い過ぎなら、他の人間ができねえことができるもんだから、自分を特別な人間と勘違いする。
別に悪く言おうってんじゃねえ。
そう言う人間でなきゃ、でけえ仕事をする時に迷いがでたり、要らねえ情け心が出たりするもんさ。
嬢ちゃんはよ、俺らからすれば考えられねえくれえの金持ちに生まれて、そのくせみんなとおんなじところで働いて、おんなじもんを食っている。
どちらかと言うと、俺らに気持ちが近い娘さんだ。そこが、俺には有り難えんだが、だけどよお、あんたの生まれは変えられねえんだぜ。
気持ちは俺らとおんなじところでも、役目はとてつもなく高い目線でこなさなけりゃならねえんだ。
そりゃ、しんどいと思うぜ。」

「はい、怖くて・・・辛いです。」

「嬢ちゃん、あんたが乗り越えなけりゃならねえのは恐怖心じゃねえ。
心のどっか底に、それは自分の仕事と違う、もっと誰かがする仕事だって、他の誰かに頼ろうとする心があるだろ。
乗り越えなけりゃならねえのは、あんたのその依存心の方だぜ。
あんた以外にこの仕事はできねえんだ。いっぺん『誰も頼れねえ』と腹を決めてみな。思った以上に腹が座って、気持ちが落ち着くもんさ。
俺が言うんだから間違いねえ。」

「前田町さん。」

「まあ、腹が座ったら、あとはあまり深く考えねえこった。今すぐどうこうってことはねえ。まずは、その自立駆動型介護ロボットって奴のアイディアを固めようじゃねえか。」

「はい。」

前田町に言われた言葉より、前田町たち頼もしい味方を得られたことに勇気を得た歌陽子であった。

でも、本当の波乱はこれからだ。
いよいよ歌陽子プロジェクトの始動である。

(おわり)

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#5

(写真:サマーロード)

父からの試練

「だいたい、この嬢ちゃんとあんたの関係はどうなんだ?言葉遣いは下手でも、明らかにあんたが保護者って感じだ。」

「私は若い頃、10年間東大寺代表の秘書を務めたことがあります。いつも行動を共にして、お屋敷にも出入りしていました。ちょうどその時期が歌陽子(かよこ)お嬢様の幼少期と重なるのです。
私が代表や奥様に代わってお世話申し上げることもあったのですよ。」

「つまり、高給取りのベビーシッターって訳か。」

そうチャチャを入れたのは野田平。
それを軽く笑顔で流して、

「奥様やメイドの手が空かない時は、私がオムツを替えたり、一緒にお風呂に入ったこともあるんです。」

「そりゃ凄え。大人の関係じゃねえか。」

そこで歌陽子はたまらなくなって、

「もう、何想像してるんですか!せいぜい3歳くらいまでのことですよ。」

「ちょっとからかっただけじゃねえか。耳まで真っ赤にしやがって。」

そこで、歌陽子は目を落として、

「許してね、村方さん。
実は私が生まれる少し前に、村方さんは身重の奥さんを亡くされているんです。」

「いや、仕事にかまけて妻の体調の変化に気づけなかったのは私の責任です。
でも、歌陽子お嬢様が生まれた時、私にはとても人の子供とは思えなかったんです。
ですから、歌陽子お嬢様との10年間は、私なりに子育ての幸せを味わうことができた時間だったんですよ。」

「なるほど、あんたがこの嬢ちゃんに肩入れする訳が分かったぜ。
てえか、ちっと過保護な親だな。」

「今回、代表からもそのように叱られました。」

「まあ、スパルタの方は俺らに任しときな。」

「ちょっと野田平くん、あまり話を混ぜかえさないでくださいよ。」

すぐに口を突っ込む野田平とそれをたしなめる日登美、この3人がずっとチームでやってこれた訳が分かる。

ヘリは、だんだん濃くなる夕闇の中を、都会の夜景を目指して飛んで行った。眼下に無数の宝石がだんだん輝きを増してきた。

「実は俺はな、ちっとばかり嬢ちゃんの親父さんには面白くない思いをさせられてるのよ。」

「いわば、呉越同舟ですな。」

「まあ、そう言うこった。それが、こんなたいそうなもんに乗っかって酒の接待まで受けている。だけど、俺らが宗旨替えをしたと思ったら大間違いだぜ。
あくまで、嬢ちゃんの話に乗っかってるだけだ。なんてったって俺らの上司だからよ。
東大寺に協力するのは俺らの本意じゃねえってキチッと切り分けてくんな。」

いちいち前田町の言葉にうなづいていた村方は、口をキッと結んで姿勢を改めた。
そして、歌陽子に向かって、

「では、歌陽子お嬢様に、お父様、つまり東大寺グループ代表の言葉を伝えます。
本件について、グループ各社に打診はしていますが、いまだ自ら進んで取り組む姿勢を見せている会社はありません。
代表は特に、産業ロボットの専業メーカーである三葉ロボテクに、今回のプロジェクトで中心的な役割を果たして貰いたいとお考えです。
ついては、歌陽子様。」

「は、はい。」

「本件に関して、歌陽子お嬢様には東大寺グループの限定的な代表権が与えられます。」

「え・・・、は、はい。」

「おい、嬢ちゃん、『はい』の意味分かってんのか。」

「え・・・?え?」

「つまりはだぜ、嬢ちゃん、あんたが親父さんに代わってうちの社長を説得しろってことだぜ。」

「もちろん、そう言うことになりますね。」

「どうしよう、村方さん。」

「なあ、嬢ちゃん。」

前田町がしみじみとした声を出した。

「つまり、あれだ。獅子は我が子を先陣の谷に突き落とす、ってやつだ。前まで、親父さんは、あんたを世間の厳しい風に晒さないように一生過ごさせようと思っていたんだろうな。
だけどよ、嬢ちゃんの方から望んで世間に飛び出しちまった。親父さんとしては、目論見が外れた訳だが、ここはひとつどこまで本気か試してやろうと言う気になった。
親父さんとしては、もし嬢ちゃんがしっかり務めを果たせたら、それは思いもよらねえめっけもんだった訳だし、うまく行かなければ、それはそれでまたあんたを手の中に取り戻せる。
どっちにしても損はねえ。」

そして、その話を村方が引き取った。

「正直言えば、私は代表からあまりお嬢様に手を貸さないように言われています。やはり、お嬢様の力を見ておられるんだと思います。
ここは歌陽子お嬢様としても覚悟を決める必要があります。」

「あ、あたし、その・・・。」

「しっかりしねえか!コーヒー係。あんたはまた私たちの居場所を作るんだろ。」

「そうですよ。あなたは会社の連中に比べたらまだ腹が座ってますから、大丈夫です。」

もう、野田平さん、日登美さん、ここぞとばかりにけしかけるようなことを・・・。

最後に前田町が、思いを伝えた。

「俺ら、このまま冷や飯食わされたままじゃ終われねえぜ。あんた、俺らの仇を取ってくれよ。」

じっと聞いていた歌陽子は、もはやこれまでと覚悟を決めたように言った。

「父に伝えてください。歌陽子はお引き受けします。かなわぬまでも、全力で最後まであがいてみせます。」

「よし、決まりです。歌陽子お嬢様、頑張ってください。」

はあ、村方さん、重い、重過ぎるわ。
私、まだ社会人経験半年以下なのよ。

と、その時、轟音が響き、ヘリの中に眩しい光が飛び込んできた。

「ここからは機内の明かりを落としますから、存分にお楽しみください。」

パアアアアアアン!
バラバラバラバラ!

「おお!た〜ま〜や!」

最初にさけび声をあげたのは意外に前田町だった。さすが、筋金入りの江戸っ子である。

今日は川沿いで花火大会が行われていた。
ヘリコプターは、その目の前でホバリングをした。
こんな高度で、しかもこんな目の前で花火を見る贅沢を他に誰ができるのか。

パアアアアアアン!
バラバラバラバラ!

宴もたけなわの中、しかし歌陽子は抱え込んでしまった余りに重いミッションに気持ちがついに浮き立つことはなかった。

(#6に続く)