今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#1

(写真:石の上の上人)

歌陽子の世界

「おい、コーヒー係。」

「・・・。」

「聞こえねえのか?コーヒー係。」

「・・・。」

「くそお、一端に無視しやがる。これでどうだ。」

野田平(のだいら)の手から小指大のボルトが飛んで、軽く弧を描いて歌陽子(かよこ)の頭にコツンと当たった。

「わ、わ、わ〜っ!」

急に来た衝撃に歌陽子はたまげて、椅子からずり落ちた。
そのままメガネをずり下げ、ペタリと床に座り込んだ姿は、まだあどけない少女だった数ヶ月前を彷彿とさせた。

「おい、コーヒー係、なんで無視しやがんだ。」

積み上がった書類の向こうから野田平が絡んでくる。

「野田平さん・・・。痛いじゃないですか。それに無視していた訳じゃありません。今月の数字をまとめるのに集中していて、それで聞こえなかったんです。」

「は、都合のいい耳だなあ。まあ、いい。コーヒー係、あんたはコーヒー係の仕事をしろ。」

「また・・・ですか。はい、分かりましたあ。」

「この野郎、この所すっかり慣れやがって。前田町のジジイのお気にりだからっていい気になるなよ。」

「あのお、仮にも私は皆さんの課長なんですから、少しは課長の仕事をさせてください。」

「知るもんか。東大寺の親父に据えられたポストなんざ俺は認めないね。お前なんざ、コーヒー係で充分だ。」

言葉はトゲトゲしいが、側から聞いていると祖父と孫がじゃれあっているようにも聞こえる。
東大寺歌陽子、三葉ロボテク 開発部技術第5課配属半年未満の新入社員にして、新米課長。年齢20歳。

なぜ、こんな世間知らずの若い女子が課長職を拝命したかと言えば、それには東大寺家の複雑なお家事情があった。
東大寺家は、バイオで世界をリードする医療系企業グループのオーナーであり、当三葉ロボテクの筆頭株主でもある。資産は数兆と言われる日本屈指の財閥の一族であった。
その令嬢が歌陽子である。
東大寺家で綿で包むように育てられ、その系列の小中高一貫のお嬢様学校で幼少期から思春期までを過ごした。そこから、2年間名門短大でティーンエイジ最後の青春を送った。
東大寺家とその周りの世界しか知らず、多少浮世離れしたお嬢様。
もちろん、子供の頃から多くの取り巻きに囲まれ、プリンセスのようにも扱われてきた。
それでも、歌陽子が勘違いしなかったのは、父親譲りの聡明さと内省的な性格のたまものである。
やがて、短大も無事卒業が近づき、父親は少し広い世界を見せてやろうと、歌陽子に2年間の海外留学先を決めてきた。
まるで、絵に描いたような理想的な人生、留学から帰れば、海外帰りの才媛の肩書きと一緒に社交界デビューをし、やがて婿を取る予定だった。

しかし、そんな理想的な人生のレールにいたたまれなくなったのは当の歌陽子だった。
何も選択しない、何も行動しない。それでも人生にはフルコースでお任せのご馳走が用意されていて、それを食べて過ごしさえすれば満足して一生を終えられる。
でも、私の人生は高級フレンチのフルコースじゃない。
どんなに無様でみっともなくても、キチンと私自身の足で立って歩いて、私自身の人生を作りたい。
そう主張して、父親の決めた完璧なレールにノーを突きつけた。
当然、父親がそんな身勝手を許すはずもない。

「お前に高い教育を受けさせたのは、そんな知恵をつけるためじゃない。」

しかし頑固なのは父親譲りで、歌陽子も頑として引かなかった。
さすがにラチがあかないと思った父親は、策を弄し一時譲歩することにした。
しかしそれは、自分の息のかかった三葉ロボテクに歌陽子を放り込んで、しっかり世間の厳しさを思い知らせて、懲りた頃にまたこちら側に引き戻そうと言う計画だった。それで一年留学は遅れるが、手の届かない海外でややこしいことになるより余程マシと考えた。
そして、三葉ロボテク側に要求したのは、一番しんどくてやり甲斐のない部署に配属してくれと言う注文。
筆頭株主であり、現在の経営母体である東大寺グループの意向に答えようと、三葉ロボテク側が必死で考えたのは、開発部技術第5課 課長職のポスト。
ここは社内で魔窟と呼ばれ、大の男でも一週間ももたないと言われていた。
そして、そこで歌陽子を待ち受けていたのは、野田平、前田町、日登美の老獪な技術者たち。とにかく強面でワガママで我を曲げない3人を相手に新人課長 歌陽子は一カ月頑張った。それは会社のレコードを更新したと言う。
しかし、一方歌陽子はメンタルにたいへんなダメージを受けていた。
会社は慌てて彼女に休暇を取らせ、現場から引き離した。
そして、してやったりとばかりに父親は、歌陽子が二度と世間に出たいと思わないようにお嬢様生活を満喫させた。
そんな父親の意図に気づいた歌陽子は、一人屋敷を抜け出して、三葉ロボテク裏の公園までやってきた。そこは歌陽子が父親の大きな手を離れて作ろうとした、とても辛かったけれど彼女自身の世界だった。
それを目に収めて帰りかけた歌陽子に、東大寺嫌いで一番の苦手の前田町が話しかけてきた。
また、気持ちを挫かれるようなことばを投げかけられるかと思いきや、前田町の歌陽子への評価は意外に高いものだった。
そして、「また一緒に働かないか」と言う前田町の言葉に勇気をえて、歌陽子は休職一カ月足らずで復帰した。
計画がうまく行かなかった父親が、三葉ロボテク側にどんな叱責をしたかは定かでない。

あの日歌陽子が持参したコーヒーを、前田町が気に入ってくれたので、それ以来の彼女は会社にコーヒーメーカーと豆を持ち込んで三人の老技術者に振舞っている。

「は、こんなチンケなもんで取り入るつもりかい。」

そう野田平は散々毒づいたが、今では一番コーヒーの愛好家だ。
それだけなら良かったが、歌陽子を「課長」ではなく「コーヒー係」と呼んでお茶汲みならぬコーヒー汲み係にしている。
最初は、「喜んで貰えるのなら」と甲斐甲斐しくコーヒーを給仕していた歌陽子も、「コーヒー係」「コーヒー係」とあまりこき使うものだからすっかり閉口してしまった。
それで、野田平に対しても少しは言い返すようになった。しかし、野田平もそれを半分嬉しそうに掛け合いに応じている。
そこは少しずつで歌陽子の世界になってきたのだ。

「おい、コーヒー係、ずれたメガネをかけ直せ。みっともねえ。」

「はい。」

(#2に続く)

ルールと心意気

(写真:メイエキ ムーン)

大切なルール

「すいません。よく分からなかったんで、以後よく気をつけます。」

そう強面の警官に素直に謝りました。
これは若かりし頃、道路の右折レーンに侵入しそのまま直進したところ、いきなりピピピ!「そこの車止まりなさい」と怒られた時の話です。
「切符切られるかな」と神妙にしていると、

「あなた、そんな運転をしていると絶対事故するよ。」

と、お小言を頂戴しただけで許して貰えました。
そんなこともあり、よく友達と「警官にも融通がきく人ときかない人がいるよね」と話しています。
最近では危険運転や道交法違反が世間で厳しく言われていることもあり、かなり厳しくルールが運用されている気がします。
そもそも車は便利ではありますが、使いようによっては刃物やピストル以上に恐ろしい走る凶器です。それを道路交通法と言うルールを守ると言う誓約のもと、公道に乗り入れているのです。
だから、ルールは守って当たり前。ルールはとても大切です。
しかし、最近は車の性能が良いのか少々規則違反をしても即事故につながるわけではありません。すると私たちドライバーはスッカリ自惚れて、警察にさえ見つからなければ良いくらいに本来のルールの意味を取り違えてしまいます。

でもルールが全てではない

道路交通法は命に関わることなので、本来いくら厳しく運用しても良いものです。
それでも、「お目こぼしして貰えた」と嬉しくなるのには、自分ながら「しょうがないヤツだな」と呆れます。
ただ、ルールも万能ではありません。
ルールは
時代や場所の事情に一時合わせ作られますが、当然世の中は変化していきます。
一時期、ネットの誹謗中傷をどう裁くかが議論になったように、世の中とルールは常に齟齬をきたし、その調整が必要です。
ただその調整が終わるまでの間に、そこから漏れて辛い思いをする人がどうしても出ます。
その人たちをどう救済するかは、今度はルール自身ではなく、ルールの適用の問題なのです。

ルールと心意気

以前、歴史作家がこんなことを喋っているのを聞きました。

「侍1人に対して、農民が9人もいた時代。年貢で農家から収穫の半分も取り上げたらどうなる?たちまち、米だらけになって、とても食べきれはしないだろう。」

確かに、他の工商の階層に下げ渡していたとしても、明らかにアンバランスです。
ですから、江戸時代は農民搾取の暗黒時代と思われていますが、必ずしもそうばかりではないかも知れません。
(ただ、その作家は現代の米の生産性を基準にしているので、当時米が余っていたと単純には言えない気がします。)
ただ、封建社会の縛りはキツかったものの、今のように何でもキッチリ運用を管理する手段がなかったので、かなり現場の裁量に任されていたでしょう。
その中で、ルールの運用を農民の現状に合わせて変える二宮金次郎のような心意気系の代官もいたと思います。

相手あってのルール

そもそもルールは何のためか?
それは、相手を生かすためのものです。
道交法も、公道を利用する全てのドライバーと歩行者の命を守り、安全に道路を利用して貰う為のものです。
ルールと言うと、その縛りや窮屈さばかりが目に付きます。しかし、本来は対象となった全員を幸せにするのが前提で決められているものです。
法学者に言わせれば「悪法も法なりや」ですが、人を不幸にする悪法なら変えなくてはなりません。また、その間に辛い思いをする人がいればルールの運用で救済することも必要です。
もちろん、国の法律の運用は警察や裁判官の領分です。しかし、企業であったり、地域であったり、個人の集まりであったりと、ルールを作って運用する側に回ることはいくらでもあります。そんな時、「ルールだから」と視野を狭くして、相手を不幸にしていることがあるかも知れません。
確かに、ルールに従えば相手も説得しやすいし、何より考えなくて良いので楽です。
そして、安易になし崩しにすれば誰も守らなくなるので、ルール自体を存続させるにはカチッとした運用が大切です。
しかし、本来ルールとは不完全なものであり、また相手を生かす為のものですから、常に状況に応じて運用を変える準備はしておきたいものです。

反省もほどほどに

(写真:緑生、紅生)

反省は大切、されど

叱られたり、ダメ出しを受けたり、反発が上がったりすると、「自分は何をしているんだろうか」と落ち込み自信がなくなります。
動物なら叩かれたらキャンとかニャーとか鳴いて逃げ出すだけですが、人間は「なぜ叩かれたのだろう」「二度と叩かれないためにはどうしたら良いのだろう」と考えます。
つまり、原因を反省をして、二度と不快な思いをしなくて良いように対策をします。
この反省はとても大切で、これで人類が進歩してきたと言っても過言ではありません。
なぜなら、人間は間違って痛い目を見て、そこを矯正されながら真っ直ぐ進むものだからです。
いわば、幅のある道を、左に逸れては左側のガードレールに弾き返されて軌道修正され、今度は反動で右に逸れては右のガードレールで弾かれる。曲がってはぶつかり、その度に矯正されておおまかに真っ直ぐ進んでいくのです。
これは、私たちの人生も、会社経営も、政治体制や思想ですらそうです。
しかし、その反省も正しくしなければなりません。

反省し過ぎにご用心

そもそも反省とは、自分の足りないところを自覚し、そこを正すためにするものです。
反省の前には、厳しい叱責や辛いダメ出しがあるでしょう。
そうすると、私たちの心はいずれかに動きます。
一、私たちにダメ出しをした人物を恨み憎み、反対にダメ出しをする。
「なんだ、あいつ全く分かってなんかいやしない。」
これは、全く反省に結びつかないので論外です。
二、ダメ出しを受けたところを把握して、そこを治すにはどうしたら良いか考える。
つまり、ダメ出しは部分的であり、一時的であり、だから努力で治すことができると考えます。一番健全な叱られ方ですね。
三、ダメ出しを受けるのは、自分がダメだからだと落ちこんでしまう。
私たちが人にダメ出しをする時、決してその人自身を否定している訳では有りません。気になることの一つ二つ、ほんの一部分の修正を求めたのに、もう身も蓋もないように落ち込まれてはかないません。
しかし、うぬぼれ強い私たちは、いつも完璧な自分の幻想を持っています。それがあるから人から少しダメ出しを受けると、「完璧じゃない私」=「生きている意味のない私」とまで落ち込んでしまうのでしょうね。

功罪半ばするのが人間

人間には100パーセント完璧な人もなければ、また100パーセントダメな人も存在しません。
必ず、誰でも良いところと悪いところが相半ばしているものです。いわば、人間とは功罪が半ばした存在です。
それを自分を完璧な人間のように思ったり、まるでダメな人間のように思うのは、正しい人間の姿から外れているのです。
こんな話があります。
ある男が、波打ち際でスッカリうなだれていました。
それを見たキツネが男に近づき尋ねました。

「どうして、そんなに悲しそうな顔をしているのですか?」

男はうなだれた顔を上げキツネに答えました。

「自分はずっとここで波を数えていたのだが、途中でいくつまで数えたか分からなくなってしまったんだ。」

キツネは励ますように言いました。

「波がなくなってしまう訳じゃない。昨日や今日と同じように明日も明後日も打ち寄せんるんだから、また一から数えたら良いじゃありませんか?」

しかし、男は決してそれからうなだれたこうべを上げようとはしませんでした。
これはイソップ童話の「波を数える男」と言う話です。
男にとって波を数え続けるのはは完璧な自分。一回でも波を数え損なったら、ダメな自分。全てはオジャンです。

罪のみ反省すれば良い

でも、本当はキツネの言うように、「波がなくなってしまう訳じゃない」のです。
いくらでも、どこからでもやり直せるのに、男にはそれが分からないのでしょうね。
この波を数える男は、まるで必死に失敗しないように汲々としている私たちの姿です。
そして、
「遅刻をした」
「期限が守れなかった」
「忘れ物をしてした」
「失敗を叱られた」等、
一度小さな波を数え損なったら、たちまち身も蓋もなくなります。
中には自殺をする人まで現れます。
しかし、ガードレールの間を転がるように、右と左で矯正されて初めて真っ直ぐ進めるのが私たちです。矯正を恐れたら、真っ直ぐはおろか、転がることさえ出来なくなります。
今指摘されダメ出しを受け、叱責されているのは、私の中のほんの一部の小さな瑕疵です。それさえ直せば、また真っ直ぐに歩き始めることができます。
確かに、私たちは功罪のある存在ですが、罪があっても私自身を否定する必要はありません。なぜなら、私を丸ごと否定したら、功の部分まで否定しなければならないからです。
悪いのは罪だけです。しかも、今一時的にダメなだけかも知れない。
だから、勇気を出して罪だけをしっかりと見つめそこを直せば、あとは功だけの自分が残ります。
もちろん、それで完璧と自惚れてはなりませんが、また勇気を出して進めるでしょう。
反省は大事ですが、反省すべき対象を間違えてはならない、反省もほどほどが大切と言う話です。

山や川を恨む人間はいない

(写真:ヤンマ その3)

電車の中で

「ああ、腹立つわ。」

「どないしたん?」

「あのな、うちの亭主、めちゃムカつくねん。昨日な、メチャメチャ忙しかったんや。
それで、頑張って片付けたら夕方な、えらい眠うなって、ちょっと炬燵のところでとろとろしとったんや。そうしたら、うちのが『女はうちでのんびりしとれてエエナア』いうんやで。
誰がのんびりしとるちゅうやねん。
家におるときは、みんなうちにやらせてダラダラしとるのは、どっちやねん。」

「あ、それは良うないなあ。」

「せやろ、ひどいもんやで。ほんまにうちおん出たろか。」

「まあ、まあ、まだ子供も小さいんやし。」

「せやけど、腹が立つっちゅうねん。」

犯人はどこか?

ガクン!

「あ、電車止まったで。」

「そやな、どうしたんやろ?」

アナウンス

「電車をご利用中の皆様にご案内します。この先の踏切で自動車と列車の接触事故がありました。現在のところ、まだ復旧の目処が立っておりません。皆様、お急ぎのところまことに申し訳ありませんが、しばらくお待ちいただきますようお願い致します。」

「え!ほんまかいな。敵わんわ、急いどるのに。」

「でも、しょうがないやろ。こんなところなんやし。しばらく、待ってみいへん。」

「せやな、しゃあないわな。◯鉄が悪いわけちゃうし。」

・・・

一時間後。

「あかん、うちは限界や。車掌はどこや?文句言ったる!責任者、出てこんかい!」

山や川を恨む人間はいない

「ちょっと、落ち着いてえな。みんな、めっちゃ見とるやん。そないに、何でも人のせいにしたら、あかんよ。」

「せやかて、うちのせいやないやん。」

「じゃあ、誰のせいなん?」

「そら、電車にぶつかっていったドライバーか、車をようよけなんだ電車の運転手のせいやろ。なんで、そないにどんくさいもんらのために、うちがえらい目合わなならんねん、」

「ちょっと、どんくさいなんか言うたらあかん。どないしようもなかったかも知れへんやろ?」

「まあ、そらそう言うこともあるやろけどな。」

「あんたなあ、よう山歩き行くやろ。そしたら、途中で雨降りよるやん。そんとき、空に向かって怒るか?『バカヤロー!』言うて。」

「そら、そんなヤツおらへんわ。」

「じゃあ、山が高くてシンドイわ!とか、川がじゃあくさい、どっか行けとか言うか?」

「言うわけないやろ。言うたらアホやん。」

「じゃあ、山や川なら許せるのに、なんで◯鉄や、旦那さんは許せえへんの?」

「あ、そう言うたら、そやな。」

気持ちひとつ

「まあ、山や川はなんともならんけど、人間相手ならゴネたらなんとかなるかも知れんもんな。」

「山や川はそうやな。◯鉄相手なら、癇癪起こしたら少しは恐縮しよるもんな。うちは、それ見て憂さ晴らしをするっちゅうことやな。」

「そうやで、車掌さんもたいへんなんやから、気い悪いこと言ったらあかんよ。」

「せやな、うちの亭主にもそう思ったらええな。気い悪いこと言われても、あれは『カミナリが鳴っとるんや』くらいに思うたらええな。」

「主人が言うたら、うちら、どうしても自分のことに結びつけてしまうやんか。うちが悪いから言うてくるんやろか、とか、うちのこと嫌いやから酷いこと言うんやろか、とか。
知らんうちに、うちら自分で自分のこと責めとるんかもな。だから、余計傷ついて腹がたつんや。」

「そやそや、雨が降ろうが、山が高かろうが、川が流れとろうが、うちらとはなんも関係ないもんな。みんな、そう思ったらよろしいな。」

ガタン!

「あ!電車動きよったで。」

アナウンス

「皆様、たいへん長らくお待たせしました。踏切の事故処理が終わりましたので運転を再開いたします。」

「良かったなあ。」

「せやなあ、なんでも気い良うしとった方がよろしいな。」

人の仕事を取らないこと

(写真:ヤンマ その2)

自分の方がうまくできるし

「ちょっと山田くん、いいかしら。」

「はい、課長。」

「あなたのチームの田中さんね。ちょっと元気がない気がするんだけど、思いつくことない?」

「う〜ん、彼女には極力負担をかけないようにフォローしているつもりなんですけど。」

「うん、それはよく分かるわ。でも、なんて言うのか、あまりやり甲斐を感じていないんじゃないかって。」

「やり甲斐ですか?」

「そうよ、人間は会社に来て、言われた仕事をして、月末に給料が振り込まれたら、それで満足って訳にはいかないの。やっぱり、みんなと一緒にこの会社を支えてるって実感のようなものが欲しいんじゃないかしら。」

「はい、そうですね。」

「それでね、山田くん。あなた田中さんに適切に仕事を任せてる?」

「もちろん、彼女のおかげで大助かりです。」

「例えば、どんな?」

「そりゃ、提案書や見積の作成とか、数字の集計とかです。」

「あと、見込み客へのクロージングは?」

「あ、それは僕がやっています。売上につながるところなので、まだ彼女には任せられません。」

「あのね、見込みの高いお客様へのクロージングは彼女が担当じゃなかったかしら。彼女だって、売上予算を持っているのだし、あなたがやってしまったら、形の上では田中さんはずっと未達成になるわ。」

「しかし、僕なら絶対に失敗しません。いかに確度が高いお客さんでも、田中さんは3人に一人は失注するじゃありませんか。会社のためを考えたら、僕がすべきだと思います。」

人の仕事を取らないこと

「人の仕事を取ってはダメよ。あなた方のチームは、案件の掘り起こしは山田くん、そのフォローと確度が高い案件のクロージングは田中さんって決まってるじゃないの。」

「しかし。」

「いいかしら、あなたは田中さんが頼りないって言うけど、誰だって最初からできた訳じゃないの。経験を積んで、初めて少しうまくできるようになるんじゃない。その経験の機会を奪ってはいけないわ。」

「はあ。」

「それに、田中さんの同期はほとんどの人が独り立ちして頑張っているわ。彼女だけが経験を積ませて貰えずに、同期のみんなから置き去られたような気持ちになっているとしたら気の毒じゃない?」

「ですよね。」

それぞれの本分

「もっと言えば、山田くん、最近あなたの新規掘り起こしのペースが落ちて来てるわ。田中さんのフォローより、まずは自分のことをちゃんとやらなきゃ。」

「正直言えば、あまり新規件数が伸びていません。だから、余計チームの数字は落とせないって思ってしまうんです。」

「まあ、よく言えばね。」

「よく言えば、ですか。」

「そう、あなたは優秀だから、そこを見込まれて厳しいところを任されているの。当然、人一倍苦労するし、なかなか結果が出ない時もあるわ。だから、ついつい結果が出やすい仕事をしたくなるのよね。しかも、人のじゃなくて、自分が愛着を持って育てて来たお客様だもん。自分が最後まで担当したい気持ちも分かるわ。
だけどね、それはあなたじゃなくてもできる仕事なの。あなたは、あくまでも一軒でも多く新規顧客を回って、案件を掘り起こすのが仕事でしょ。
それって、あなた以外の誰かが出来て?」

自分はどうか、反省をする

「そう言われたら、嬉しいような、辛いような。」

「あなたには、あなたの仕事があるでしょ。ますばそこに集中して頂戴。」

「でも、そうすると・・・。」

「そうよね、それで忙しくなるから、他の事は出来なくなるわ。だから、そのために田中さんがいるんじゃないの。」

「はい。そうでした。」

「どうしても、今までやって来たことを後輩に任せるのは勇気がいるわ。でも、あなた自身次のステージに進むためには、今までの荷物を下ろさなくては十分活躍できないでしょ。
自分がすべきことは何なのか、よく確認して、まずは本分を果たすことが大事ね。」

「はい。肝に銘じます。」

天井に穴を開ける仕事

(写真:ヤンマ その1)

低い天井

私たちは、意識せず自分たちに限界を作ります。
そう、まるで低い天井があって、それ以上上には行けないように思っています。
例えば、会社ならば売上は〇〇億が限界。それ以上はどうしても伸ばすことはできない。
なぜなら・・・下請けだから、発注先の事業規模が飛躍的に拡大しない限りは、自分たちの実入りも限られている。
あるいは、〇百社と言う狭い業界を相手にしているから、それ以上販売数を拡大できない、とか。

天井の理由

その天井は、私たちIT業界にもあります。
20年も前はコンピューターを入れている事業者は限られていましたし、事務所の効率化の流れに乗って事務管理系のソフトは飛ぶように売れていました。
ところが、コンピューターの導入が進んで、入っていることが当たり前の時代になれば、新しいお客さんを探すのは容易ではありません。
新しいお客さんがいなくて、どうやって収益を確保するのでしょう。
まず、コンピューターシステムが一巡した時代、お客さんはふた通りしかありません。
すなわち、自社のお客さんと他社のお客さんです。
その中で、新しいお客さんを獲得するには、他社のお客さんを奪わなければなりません。しかし、これはなかなか容易ではないのです。
なぜなら、特に事務管理系は事務員さんの使い勝手が最優先です。さらに、事務員さんは多少の機能の優劣より、今まで慣れた運用を続けたいと思うものです。
そうすると、「今お使いのものをやめて、私たちのものを使ってください」と言うのはなかなか簡単ではありません。

天井は限界か?

ならば、すでにお客さんになっているところを囲い込んで、買い替え需要を確実に押さえた方が効率がよいことになります。
営業マンの気持ちになっても、何ヶ月も通ってやっとものにする案件より、時期を見て勧めさえすれば簡単に売上につながる顧客を優先したくなるでしょう。
すると、だんだん既存客のリプレイス市場ばかりに集中し、自社のお客さん=マーケットの全てと言うことになりかねません。
これは楽に稼げるので、ある意味非常に恵まれた状態ですが、それ以上マーケットも業績も伸ばせない衰退期に突入することでもあるのです。
こんな低い天井を自社の限界にしてしまったら、この会社に未来はないでしょう。

天井に穴を開ける仕事

確かに、既存客は安定的に収益が確保できる有難い市場です。
しかし、その既存客にも寿命があり、いつかは離れていく人たちです。現に既存客を守っていても確実に目減りしているのは数字が明らかに示しています。
つまり、会社の顧客やマーケットは新陳代謝か必要なのです。
離れていく分、攻めて取りに行ってこそ市場を維持できます。そして、失った顧客以上に新規獲得できることが企業の成長です。
しかし、この新規獲得をするには、時間をかけるか、あるいは全く新しい商品や市場に苦労して挑まねばなりません。もちろん、なかなか結果は伴いませんし、効率が悪いので周りからの厳しい目にもさらされます。
ただ、同時に天井に穴を開ける仕事でもあります。そして、いよいよ穴が開いたら、開けた空の広さ、まぶしさに目がくらむような感動を覚えるでしょう。
できればそんな仕事がしてみたくありませんか?
それまでは、厳しくても辛くても天井に穴が開くまで歯を食いしばって進みたいと思うのです。

顧客にも寿命がある

(写真:緋色の水彩)

顧客にも寿命がある

顧客にも寿命がある。

「それは、相手も生身の人間だし。」

いや、そう言う話ではない。
顧客の寿命が尽きるとは、今までと同じ商品、同じサービスに対して、顧客がお金を払う価値を感じなくなることである。
相手の人や会社が存在していても、私たちのサービスにお金を払わなくなれば、それはすなわち顧客としての死を意味する。

消えた顧客たち

実際に、私たちは多くの業界で顧客の死を目の当たりにしてきた。
分かりやすい例では、写真のフィルム、及びその現像の需要である。それが、デジタルカメラの普及でほぼ消滅した。しかし、デジタルカメラの天下は、写真フィルムよりはるかに短かった。すなわち、スマートフォンのカメラの精度が飛躍的に向上した結果、デジタルカメラのかなりの需要を奪ったのだ。
また、電化製品や書籍の個人店に引導を渡したのは量販店だった。量販店は一時隆盛を極め、出店攻勢は止まるところを知らなかった。
しかし、そこにネット通販の台頭が待ったをかけた。大量仕入、大量販売で販売価格にメリットを出し、我々も量販店こそ一番安いと信じて疑わなかった。その持ちつ持たれつのビジネスモデルが、価格比較サイトの拡大で量販店の唯一絶対安値の神話を崩壊させた。
実際、商品の品定めは実店舗で、購入はネットで価格比較して、と言う購入スタイルが広がっている。

製品ライフサイクル

さらに我々の企業の提供する製品一つ一つに着目すれば、常に顧客の創出と喪失のサイクルを体験することになる。
余程の老舗で、その商品自体に圧倒的なブランドが存在しない限りは、私たちの製品やサービスは常に顧客の大量死のリスクを抱えている。
なぜなら、少々の質の差より、顧客はサービス自体の新しさを好むものだからである。
その証拠に、マイクロソフトの強引なサポートサイクルの戦略があるにしろ、私たちは常に新しいパソコンには最新のWindowsOS を選んでいる。いかに前のOS がサポート期限内で、使い勝手が良くても、半分は自ら好き好んで最新のWindowsを導入し、苦労しながら使いこなす道を選択する。
つまり、我々の製品が安定供給でき、質も維持できたとしても、それより新しいものが市場に出回れば、たちまち顧客の興味はそちらへ移る。
製品やサービスが市場に認知されるまで当然時間が必要である。しかし、一定の評価が定着すれば、そこから一気に広がるティッピンクポイントを迎える。そして、消費の安定期が始まるが、実はそれは衰退期の始まりでもある。
私たちはこの商品のライフサイクルを意識する必要があるのだ。

常時研究、常時開発

知り合いの厳しい経営者からこう聞いた。

「一カ月に新しい商品企画を一つも提案しない社員は首にしろ。」

その基準では、自分など何遍首になっても追いつかない。
しかし、世の中には「企画の千本ノック」と言う取り組みをしている企業があると聞く。
それは、誰もが知っている大手お菓子メーカーである。
商品企画部の社員は新人であっても、とにかく多くの商品企画をするように求められる。
その目標は1000本。
もちろん、そんな良い企画がバンバン出るはずはなく、ほぼお蔵入りである。
しかし、そのように常に関心を持ち、企画のために知恵を絞る習慣を持てば、問題意識や分析力、発想力が培われると言う。
商品のライフサイクルを意識し、顧客の寿命を考えたら、常時研究、常時開発。
そのために、まずは意識を持つことが必要。
最初は慣れないし、苦痛かも知れないが、やがてそれが習慣になり、楽しいと思えるところまで研鑽したい。